Astronomer

アーバルスは天体望遠鏡のレンズから目を離した。 ふと目の下に触れると皮膚に不自然な凹凸を感じた。 跡がついてしまったようだ。小さく苦笑いして頭巾を目深にずり下げると、 改めてアーバルスは空を見上げた。 星々は告げている。 遠くない未来に、実に15年ぶりの皆既日食が訪れることを。 「懐かしいな」 そうつぶやいたものの、15年前にはいい思い出はなかった。 当時彼は王立天文研究所で働いていた。 生まれ持った知性と努力だけを恃みに身一つでのし上がってきた彼は学問一筋、 家庭を顧みなかった末にそれを失っても、変わらぬ生活を続けていた。 本当は国王の側近に等しい地位を与えられる魔術師に憧れていたのだが、 魔法学にいくら精通したところで実際にそれを扱う才能が無ければ無意味である。 当時既に四十に近かった彼は諦めていたが、限界を自覚することにはやりきれぬ無念さが伴った。 空に限界は無い。 あの青は天井に塗られたペンキの色ではないのだ。 それでも人は、定められた場所で能力の限界に応じた仕事を与えられ、そのまま死ぬまで過ごす。 なぜ? 誰がそんなことを決めた。私の器は、私がその大きさを決めたものではない。 クーデターを起こし、小国の将軍から世界の半分を支配する皇帝にまで成り上がったシーラルの姿は、 アーバルスにはひどく滑稽で生々しく、異常な眩しさで映った。 「やるじゃないか…」 震撼するより前に、そんなことを思ったのを覚えている。 ―――今度は何が起こるのだ? アーバルスは独り、にやりと笑った。嫌な予感はそれほどしなかった。ただ、 彼があてられるのはむこう一週間の天候だけであることは自分でも分かっている。 「当日は、有休でも取るか…」 帰り支度を始めたアーバルスの背後で、かしゃりと鎧の音がした。 「宮廷魔術師 兼 王立天文研究所所長、アーバルス殿。王より手紙を預かって参りました。異動命令です」 アーバルスはゆっくりと振り返った。 「私にか?」 面倒だなと思いながら、相手に近づき封書を受け取る。 蝋の封印に親指をあてると、みるみる赤色のそれは液状化して紙の上を滑り落ち、床に滴った。 封書を持ってきた兵士は黙ってそれを目で追う。 中身を確認しながらアーバルスは彼を見ずに、 「ご苦労さん、騎士団長。君も来るのかね?」 問われた相手はクッと顎を下げて俯くと、深く礼をした。 「は。よろしくお願いいたします」 「そう畏まらんでもいいだろう」 さらりと流してアーバルスは彼に笑いかけて見せた。 少し戸惑ったように彼は視線を上げる。 燃えるような緋色の鎧が、彼の上体を起こす動きと共に影を減らしてゆく。 「お前とはうまくやれそうな気がするよ、アルディス」


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