Scarborough Fair
「いいなあ、エルファスへ行けるなんて」
「あたし達が通してもらえるのはほんの入り口までよ。屋台の通りのところ。
城門から先の城下町へは入れないんだから」
「それでも羨ましいよ。そうだ、お前ら、ついでだろ。伝言を頼まれてくれないか?」
「伝言?どんな?」
峠の曲がりくねった道の途中であった。
今回、シーナ率いるサーカス団「風の謡」はエルファスでの興業を許可された。
風の国エルファリアの首都、エルファス。
国の最も北方に位置し、この島中で最も巨大な街だ。その規模と文化の進度は他の3国首都をはるかに凌ぐ。
短い夏の間、エルファスの街では大規模な市が開かれた。
風の国のみならず島中から商人達が集まり、重要な交易の場となって栄えた。
魔物の支配下に置かれた現在でもその習慣は残され、この時期になると魔物と城門の見張りは取り払われる。
盛大な祭りのようなもので、商人だけでなく観光目的で多くの一般人も訪れ、街には人があふれる。
道化師や手品師などの見世物商売にももってこいだ。
「皇帝シーラルの膝元まで潜り込める機会なんてそうそうないわ。気合入れるわよ」
シーナは荷車に、いつもより少し豪華な衣装と多めの小道具を積みあげている。
「ギター傷つけないでよ。ハンドメイドの一本モノなんだから」
入念に荷を縛りながらトリアスは言った。
「もうとっくに、ようけ傷いっとんとちゃいますか」
軽く流すワイルは車輪を調べている。
「いいなあ、この帽子…グリグリ」
ふわふわの大きな羽飾りのついた新しいつば広帽子をパピがかぶって遊んでいる。
「あはは、パピ、それ見栄えはいいけど安いフエルトだから、角で穴あけちゃうヨ」
「でも気を付けてかぶれば、角を隠すのにちょうどいいわ。それパピにあげるから、ちゃんと接客すんのよ」
「うんグリ!」
そこへレジスタンスリーダーのフェルが旅姿で現れた。「一足先に行ってるぞ」
とある経路で手に入れた偽造パスで、フェルはシーナ達大道芸人では通行を許可されない城下町の様子も探ってくる手筈になっている。
「ええ。気を付けてね」
「リーダー、いってらー」
「いってらーグリグリ!」
フェルを見送った後、シーナは腕まくりをした。
「あたし達もさっさと出発しなきゃ。道は長いわよ。きりきり働きなさい、野郎ども!」
「仰せのままに、麗しき青嵐」
シーナ達レジスタンスの本拠地ギアからエルファスまでは、かなり遠い道のりだ。
シーナが先頭を歩き、ワイルとトリアスが交代で荷車を引きながら続く。
パピは目立たないよう、その荷の中に埋もれるようにして乗っていた。
幾日かにおよぶ旅路を経て、一行は峠にさしかかった。エルファスの一つ手前に位置するボアの街を迂回してエルファスへ向かうルートだ。
ボアの街を突っ切ることができればもう少し早く着けるのだが、どんなところでこの一行が本当の旅芸人でないことがバレるか分からない。
魔物の支配が強く禍々しい雰囲気のボアには近づかない方が吉と踏んだのだ。
峠の頂にさしかかったところで、荷車の車輪が大きな轍にはまって抜けなくなってしまった。
パピを降ろし、ワイルとトリアスがどのように轍を抜けるか相談しているのをシーナが見ていると、不意に背後から声がかかった。
「エルファスの夏市へ行くのかい?」
振り返ると、木陰に腰を下ろした男が一人いた。
軽金属製の鎧兜を身に着けた出で立ちで、ジョゼルが王であった時代のエルファリアの兵士を思わせた。
彼は荷車を轍の外へ運ぶのを手伝ってくれた。
男はゲオルグと名乗った。
「実はここだけの話、帝国レジスタンスのメンバーだ。ここでエルファスの様子を見ているところさ」
四人は驚いて顔を見合わせる。
シーナは彼を見た覚えが今までないことに少し疑問を感じたが、アジトにいるより旅をしていることの方が多いシーナ達は、
アジトでの出来事を詳しく知らないでいることも多々ある。きっとシーナ達が留守の間に加入した新入りなのだろう。
「あっ、そうなの?えーっ、奇遇だなぁ、ボク達もそうなんだよォ。
旅芸人のフリして首都に潜り込むところさ。偵察だけで何もしないけどねー」
トリアスがにこにこと言った。兵士はへぇ、と感心した様子だった。
「いいなあ、エルファスへ行けるなんて」
「あたし達が通してもらえるのはほんの入り口までよ。屋台の通りのところ。
城門から先の城下町へは入れないんだから」
「それでも羨ましいよ。そうだ、お前ら、ついでだろ。伝言を頼まれてくれないか?」
「伝言?どんな?」
兵士ははにかむように笑った。
「恋人がいるんだ。もうずいぶん長いこと会ってない。俺のことを覚えているか聞いてくれないか?
また会いたいんだけど、でも…だから、さ」
「めんどくさいわね」
「そこをなんとか」
「ただの伝言でしょ?いいじゃない、そのくらい。引き受けてあげようよ」
「グリグリ」
彼は本当に喜んだ様子で、礼を何度も言った。
そのあとしばらく言葉を交わしてから、シーナ達は帰りもここを通ることを約束し、笑って別れた。
エルファスは白く輝く美しい街だった。
大通りには隙間なく屋台がずらりと並び、活きのいい客寄せの声が飛び交っている。
大きな荷物を抱えた商人やら、シーナ達のような大道芸人、旅人、観光客、さらに城下町から見物に降りてきた住人たちでごったがえしている。
吟遊詩人姿のトリアスは遠くから見ても目立ち、早速娘たちの集団にキャアキャア言われて取り囲まれてしまった。
全員まとめて口説き落とそうと試みているトリアスをとりあえず邪魔なので置き去りにし、ワイルとシーナは出し物の準備を始めることにした。
ワイルが手始めにジャグリングを披露していると、先に来ていたフェルが、シーナ達を見つけてやって来た。
「なかなか様になってるじゃないか。塩梅はどうだ」
「オッケーでーす!」
いつの間に娘たちを振り切ったのか、トリアスが突如シーナとフェルの間に割って入ってきた。
「なにあんた」
トリアスは肩をすくめた。「さあ。シーナ、それより、頼みたいことあるんじゃない?」
「…ああ、あいつのことね」
シーナはフェルに峠で出会った兵士の話をした。
「ゲオルグって男の恋人がここにいるらしいのよ。きっと城下町に住んでるんだと思うわ。
パス持ってるあんたが伝言係になってくれると嬉しいんだけど」
「ゲオルグ?」
フェルは怪訝な顔をした。
「レジスタンスのメンバーなんでしょ?いつの間に入ったのか知らないけど」
「え…あぁ…でも」
「…なに?」
フェルの様子がおかしいことに気が付いたシーナはそれについて問いただそうとしたが、トリアスが先に明るく喋りだす。
「ボク達頼まれたんだよ、彼の恋人によろしく伝えてくれってサ。
あ、あとシャツを送ってほしいとか、麦を収穫しておいてほしいとかも言ってたな。
恋人の名前はマリエサンだって」
「恋人…」
フェルは明らかに青ざめた顔をした。
「いったいなんなの?あんたなんか変よ」
シーナがもう一度詰問すると、フェルは言葉を選ぶように少しずつ話した。
「ゲオルグ、という男は確かにレジスタンスメンバーだった。ボアの出身だ。
俺もボアの出身だし、レジスタンスだから…彼のことは知っている。
彼にエルファスに住む恋人がいたことも、そしてマリエという名の女性であったことも。
でも、でもそうじゃない。俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだ」
「ちょっと、なにそ…」
「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」
後ろから唐突に乾いた低い声が聞こえ、驚いて五人は振り向いた。
壁際に露天商の老人が座っていた。汚い灰色のローブのフードを深くかぶり、表情がうかがえない。
老人は広げられた茣蓙の奥に坐している。わずかな面積のその上に、商品らしきものが所狭しと並べられている。
いびつな形の宝石をいただいた首飾りや指輪。奇妙な姿の神をかたどった木彫りの像。謎めいた詞が刺繍された布。
白い小さな巾着袋。薬だろうか、香草の匂いがする。
「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」
この言葉がその薄汚い老人が発したものだと全員が理解するのに、暫くかかった。
トリアスがぽんと手を打つ。「あっ、パセリおいしいよねェー」
ワイルは冷めた顔で「ほういうこと言うとるわけとちゃう思うで…」
「え、セロリ?セロリか、おいしいの。間違えちゃった」「ええけんお前は黙っとれ」
シーナは老人に思い切って尋ねた。「あの…あたし達に、何か」
「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」
「はぁ…?」
「…魔除けの…まじないでございます」
そこで老人は初めて違う言葉を発した。
「この世のものでないものに会ったらそう唱えるのです。
たとえ相手があなたがたと親しい者の姿をして、穏やかな言葉をかけてきたとしても、
決して返事をしてはいけません。
そいつは返事をしたものと入れ替わる。己のやり残したこと、願いを、実現させるため」
四人は顔を見合わせた。
フェルはこわばった顔で老人を見ている。
「…どういう、こと」
「あの峠を通ったのでしょう。あそこではこういうことがたまに起こります。
珍しい…あなた方四人全員、“見える”んですな。何か大きな力を持っている…
ラの導きがあなた方を守ったのでしょう」
老人はローブのフードと白灰に乱れた前髪の間から、四人を上目づかいに眺めて言った。
その瞳孔は霧を閉じ込めたように白かった。
「しかし二度目はない。あなた方、魅入られますぞ。
お気をつけなさい。
お気をつけなさい」
エルファスを離れ、岩山を切り崩して作られた、埃っぽい街道を四人は再び歩いていた。
誰もみな無言であった。
峠に差し掛かる。曲がりくねった道。
「いいなあ、エルファスへ行けるなんて」
明るい声がした。
四人はびくりとして振り返る。
そこには“彼”が立っていた。
一度目と同じ姿で。同じ顔をして。
「どうだった?」
“彼”はにこやかに言葉をつづけた。
「伝言。頼まれてくれたじゃないか。見つからなかったかい?」
何か言いかけたトリアスの肩をワイルが強くつかむ。
「恋人がいるんだ。もうずいぶん長いこと会ってない」
トリアスは翠の瞳を見開いてワイルに無言で問いかける。
「着るものが足りないんだ。洗いざらしちまって。シャツを送ってほしいって」
ワイルは無言で首を振った。
「もう昔の話になってしまったけどな。本当に、愛した女だったんだよ」
シーナは一歩、後ずさった。
「いいなあ、エルファスへ行けるなんて」
兵士は穏やかに笑って言う。
「そうだ、お前ら、ついでだろ。伝言を頼まれてくれよ」
誰も応えなかった。
「本当に愛した女だったんだよ」
兵士は構わず喋り続けている。
「いいなあ、エルファスへ行けるなんて」
兵士の声は徐々にかすれ、ノイズが入ったかのように揺れだした。
「伝言を頼まれてくれよ」
だんだん早口になる。
「恋人がいるんだ。伝言を頼まれてくれよ。シャツを送ってほしいって」
パピがおびえてシーナのスカートへ縋り付いてきた。
「そうだ、お前ら、ついでだろ。エルファスへ、本当に、いいなあ。
伝言を、恋人が、もう昔の話にいいなあ行けるなんて伝言を愛した着るものがそうだお前ら伝言をいいなあ、
いいなあいいなあいいなあいいなあいいなあいいなあいいなあいいなあいいなあ、
愛した女だったんだよ愛した女だったんだよ愛した愛した愛した愛した愛した
愛愛あいあいあいあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ワイルが突然、パピをシーナから引きはがした。
細かく震えているパピを抱きしめるように引き寄せると、ワイルはかれの耳元で何か囁いた。
パピはいっそう身を縮ませると、恐怖をこらえるようなとても小さな声で呟いた。
「パセリ」
それを聞いてトリアスがはっとした顔をする。
兵士は乾燥した眼球で笑っている。よく見ると角膜が剥がれていた。
「…セージ」
トリアスがシーナを守るように前へ進み出ながら言うと、兵士の十指の爪が腐り落ちた。
「ローズマリー」
すぐにシーナは言葉を重ねた。
軍服から煤があふれるように流れ落ち、瞬く間に袖口や裾が焼け焦げた跡を残して散った。
「タイム」
最後にワイルが声を張ると、兵士の腹に大きな穴が開いた。
兵士は腰のサーベルを抜いた。血糊で錆びている。
兵士は蛆をこぼす口で笑いながら、四人に踊りかかった。
シーナは叫んだ。
「ウィンド!!」
そして一陣の風が去ると、
兵士の姿はどこにもなかった。
エルファスの王城を眩しそうに見上げながら、フェルは言った。
「ゲオルグという男は、ボアの街の悪魔の門に喰われた。
悪魔の門は、シーラル配下の将校であったダジオン兄弟が妖術で作った防壁だ。
シーラルの支配をより強固にするため。エルファリア王ジョゼルの眠る地を、完膚なきまでに貶めつくすために。
やつらの許可を得るか、さもなくば殺さねば何人も入ることの叶わない地獄の入り口。
それに反発して立ち向かい、炎の雨と鉄の槍を浴びて。
彼は死んだ。
レジスタンスの創設者にして悪魔の門の最初の犠牲者、それがゲオルグという男だったんだ。
悪魔の門ができてすぐ。もう十数年前のことだ」
大地のラの乱れから生まれる魔物を、地魔(チマ)という。
ものを支え命をはぐくむ土のラの乱れは、姿かたちを捻じ曲げる。
それゆえチマには奇怪な姿をしたものが多いが、まれに人型のチマがいる。
土に還ってもなお救われなかった魂が、土のラを纏うことで肉体を手に入れ、再び生を得る場合があるのだ。
もちろんそれは、魂に救いが与えられたことにはならない。
四人は帰路の途中、ボアの街へ寄った。
もともとボアは天然の崖に囲われた城塞のような街だったが、
その外側からさらに厚い石壁がそそりたっていた。
悪魔の門と呼ばれるボアへの入り口。
一見よくある形の城門だったが、ぐじゅぐじゅと不気味な音がその周囲に聞こえた。餌食を咀嚼しているのかもしれない。
四人はそちらへは向かわず、壁に沿って歩き続けた。
パピが見つけたのは積み上げられた石だった。
外壁の手前、森との境の、枯れた雑草と飛んできたゴミの中に埋もれそうな場所。
そこには名が刻まれているわけでも、花が添えられているわけでもなかったが、
なにかが土の下に眠っていると、感じられた。
トリアスがギターをばららん、と鳴らした。
「言っとくけどね。ボクはレクイエムを弾くために、こいつを持ってるんじゃないんだぜ」
古いレフティのギターを抱き寄せるように構えて、呟く。
「死人の無念ばかり拾ってると、重くて背負えなくなっちゃうよ」
ワイルは新しい煙草を一本取りだすと火をつけた。
墓石の前でかがみこみ、手で土を少し寄せ集めて小丘を作った。そこに煙草を突き刺すように立てると、ワイルは手を合わせた。
「タヌキ、お前もしてみ」
パピはよく分からないという顔をしながらワイルの隣に座り、彼にならって自分の短い手をちょんと合わせた。
「よっしゃ」ワイルは少し笑い、パピの頭をグリグリ撫でた。
トリアスはギターのチューニングを済ませると、シーナに顔を向けた。
「シーナ、ボクと一緒に歌って」
「え…」
「ボク、下手だけど」
トリアスは困ったように微笑んだ。
「これは問答歌なんだ。もう一人歌い手がいるんだよ」
「…わかったわ」
シーナはトリアスの隣に歩み寄った。
「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム。
癒しの力、時間を越えて、深い愛を胸に、勇気を携えて。
彼が愛する人のもとへ、行けますように」
Are you going to Scarborough Fair?
(Parsley, sage, rosemary and thyme)
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine
Tell her to make me a cambric shirt
(Parsley, sage, rosemary and thyme)
Without no seam nor fine needle work
And then she'll be a true love of mine
Tell her to find me an acre of land
(Parsely, sage, rosemary, and thyme)
Between the salt water and the sea strand
Then she'll be a true love of mine
Tell her to reap it in a sickle of leather
(Parsely, sage, rosemary, and thyme)
And to gather it all in a bunch of heather
Then she'll be a true love of mine
Are you going to Scarborough Fair?
(Parsley, sage, rosemary and thyme)
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine
作者注:
この作品は、2012年冬コミックマーケットにて販売した
同人誌「俺達のエルファリアの歌を聴け」(メイン作者CD様)に寄稿した作品です。
なお、非常に特殊な独自設定であった為寄稿する際に改訂を施しており、あの誌の中でだけワイルが標準語で喋っています。
持っている方は是非比べてみてください。
参考文献:
http://ki-furu.que.ne.jp/fair.html
http://www.occn.zaq.ne.jp/romcat/chnl3a1.htm
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