NEW AGE STRANGER

その日リリの村では、春の豊穣を願う祭りがおこなわれていた。 神話にあるエルフの王エルザードと王妃デイリリとの結婚式が行われたのが春の水の月で、エルファリア地方ではそれにあやかり、 水の月に生命と生育、豊穣の象徴である祭りを行うのがならわしである。 ムーラニア帝国軍に搾取されて痩せ細った経済状態ではあったが、 近年 祭りの時期にだけは帝国軍はあまり干渉してこず、一年に一度の解放感に町は湧いていた。 いつもは寂れた大通りの両脇には屋台が並び、民族衣装を着た娘たちが町を行進する。 普段魔物におびえて暮らす人々も久しぶりに明るい表情で通りへ出て、その様子を見物する。 子供たちは花びらと紙吹雪の散る中をはしゃぎ声をあげて走り回り、今日ばかりはだれもそれを咎めない。 さらにこの日はどこからか旅芸人の一団がやって来ており、ささやかながら村祭りを盛り上げていた。 大通りの中間地点で派手な衣装の道化師が楽しげな音楽を奏でており、周りに人だかりができている。 音楽を聴いているというより、その道化師の顔に施された大げさな化粧よりもはるかに映えるその下の美貌に見惚れて動けないでいる女性が多い。 曲がり角では曲芸師の男がナイフでのジャグリングを披露している。 痩せて背の高い、きりっと尖った目の男はものも言わず涼しい顔でただ黙々と、長い手足をひらめかせてナイフを操っている。 次々に増えていくナイフに人々は息をのんで様子を見守る。 向かいの白い家の前で美しい踊り子が青い衣装を着てくるくると舞っていた。波打つ金髪に花が後から後から降り注ぐ。 彼女はやや遠くから聞こえる道化師の奏でる音楽に合わせて踊っているようだ。最前列で見ていた村人から手拍子が始まる。 子供がぶかぶかの着ぐるみを着ているのだろうか、大きくて柔らかいペンギンのような動物が踊り子の傍にいて、帽子を持って立っている。 愛らしいしぐさでよちよちと動物が客の間を回ると、人々がその中にコインを入れていく。 動物の着ぐるみをなでようとした少女の手から、夢中で力を緩めてしまったのだろう、風船が離れ浮き上がって行った。 「あっ!パパ、取って取って!」 少女の叫びもむなしく空へ上って行った風船がその時突然、割れた。 その場に降りていた華やかで和やかな空気が一瞬にして凍りつき、ざわりと動揺した。不穏などよめきが円状に広がる。 この村に駐屯して支配している天魔の魔物の隊長が、部下を率いて現れたのだ。 (なぜこんな時に…) (また誰かを見せしめに?) (とうとうこの日までも…) 人々は恐怖のまなざしで彼らを見た。 たちまち人垣が割れて道ができる。 魔物達は屋台の椅子を蹴り倒したり、そばにいた村人を脅しつけたりしながら歩いていたが、白い壁の前に立つ踊り子に気が付くと、 下品な動作でそちらへやって来た。 動物はぴっと毛を逆立てたが、踊り子はおびえる素振りは一切見せず、動物を後ろに隠すように立つと彼らに対して優雅に辞儀をした。 「初めまして、ムーラニア帝国魔物軍リリ支部隊長ディノピタパット様、お会いできて光栄です。お祭りを見に来られたのですか」 「フン、低俗ナ人間ノ祭ナド。今日ハ特ニ騒ガシイノデ注意シニ来タノダ。公務ノ妨害ニナル」 「まあ、それは失礼を…わたくしどもは旅芸人一座でして。せっかくのお祭りなのでよかれと思ったのですが。それでは、もう少し静かに」 「女、上玉ダナ!ワシノ館ヘ来テ踊ッテモラオウカ」 ろくに話をかみ合わせようとせず巨大な天魔は踊り子に迫り、硬質なクチクラでできた腕を伸ばして附節(ふせつ)で彼女の顎を掴み上を向かせた。 痛みに一瞬顔をしかめた踊り子がすぐに表情を繕い何かを言いかけたその瞬間、 弾丸のような勢いで飛んできたナイフが高い金属音を響かせて白い石壁のちょうどひび割れの部分に突き立った。 一寸違えれば魔物の腕の関節を切断しかねない位置だ。 魔物は「ヒッ」と小さく叫んで思わず踊り子から手を放した。踊り子は黙ってナイフの飛んできた先を辿る。 「おーっと、しもたしもた」 向かいの通りの曲がり角。 ダミ声の主は曲芸師であった。 「お取込み中えろうすんまへんなあ、旦那。怪我はいけますか。ハイハイちょっとネ、みなさん、まがるけんのいてよ」 言いながら人々の間を器用に縫ってあっという間に近づいてくると、 彼は魔物の隊長と踊り子との間に蜘蛛のように長い手を差し入れ、ナイフを壁から引き抜いた。 シャキンと刃物の擦れる音が響き渡る。 ナイフをくるくると弄びながら、曲芸師は魔物の隊長を上から見据えた。 煙草を咥えた口元には笑みを浮かべているが、装飾品の下から覗く三白眼が炯々と輝いている。 「こいつはほんま悪そでね、すぐどっか飛んでいきまわりよんですわ。かんにんかんにん、こらえてつかー」 「キ…貴様、何ト無礼ナ!!シカモソレハ“醜き言葉グリムヤハスク”デハ…」 魔物の隊長が我を取戻し怒りの目を曲芸師に向けようとした瞬間、 「ああああああああああああああああ!!!!!!」 フェードインしてきた叫び声が急速にこちらに近づいてくる。 何事かと魔物が目を向けると、先ほどまでギターを弾いていた道化師である。 巨大なカラーボールに乗っており、ものすごい速さでこちらへ向かってくる。 曲芸師が踊り子・動物を脇へ逃がし、自身も直前でヒョイとかわしたので、道化師はそのまま魔物の隊長にボールごと突撃してひっくり返った。 「ふわー、止まったぁ、いっててて」 彼は大げさな口調で呟きながら起き上がると、 ボールの下敷きになった魔物を見下ろしておもむろに髪を整えてから、大きな涙型の印のメイクを施した頬をにっこりと吊り上げ、 「ごめんなさいごめんなさい!大丈夫ですか大将!!ボク歌うたうのメインなんですけど!!  ちょっとあのーウチも不景気で経費削減のために玉乗りとか他の芸もやんないといけなくて!でもすごい下手なんです!  マドモアゼルに乗るのは得意なんですけどネーッていうか下ネタでしたよね今のー不謹慎ですいませんアハハ!  っていうか立てますか!轢いちゃってますけど立てますか大将!!」 まくしたてながら道化師はビニールのカラーボールを高いヒールの足で踏みつけ、もう一方の足で魔物の着ているマントを踏みつけると、 魔物の腕をちぎれんばかりに引っ張った。 「イタイタイタイタイタ!!」 踏んだり蹴ったりで埃まみれになった魔物の隊長はやっとのことで立ち上がると、怒りと屈辱に単眼をすぼめ、 「コノ下層民風情ガ、リリ駐屯軍隊長デアルワシヲ…帝国軍ヲ愚弄スルノカ!村人全員、命ガイラヌトイウコトダナ!」 その言葉に、遠巻きに見ていた村人たちは慄然となった。 「とんでもない!」 踊り子はそれを遮るように大きな声を出し、曲芸師と道化師を押し退けて前に出るとにっこりと笑った。 「我々はただの大道芸人の一座、お上に刃向うなんてそんなこと。村の方々とも何の関係もありません。  大変失礼をいたしましたディノピタパット様、卑しい身分ゆえ無知なる非礼をお許しください。  エルザードに匹敵するほどのお力を持つシーラル皇帝陛下のもとで暮らせることを我々はとても感謝しております。  貴方様も皇帝陛下の腹心の部下でいらっしゃるのなら狭い了見ではありますまい、  どうかそのお心の広さに免じて、許してはいただけないでしょうか」 「……」 魔物の隊長は野蛮な四人の旅芸人を前に、しばし思考した。このまま怒りに任せてこの一座を殺戮しこの場を蹂躙してもよいが、 のちに騒ぎを起こした理由を上から問われたり始末を命じられる可能性がある。それも面倒であるし、 今の踊り子の言葉のおかげでこの場はなんとか面目を保てるかもしれない。 「フン!植民地ノ奴隷ドモガ、生カシテオイテヤルダケデモアリガタイモノヲ…  祭リダカ知ランガ、ドウセ貴様ラノ作ルモノハスベテシーラル皇帝陛下ニ捧ゲル運命。  ソノ為ニ自分達デ英気ヲ養ッテイルノハ感心ダカラナ、セイゼイ短イ時間楽シムガヨイワ」 精一杯の威厳を保ってそれだけやっと言うと、魔物の隊長は部下を引き連れて這う這うの体で帰って行った。 それを見送った四人がふと気が付くと、広場は静まり返っていた。 四人の周りには一定の距離を開けて人が集まり、誰もがじっと彼らを見ていた。 背に突き刺さる視線。 曲芸師はナイフを持ったままの右手を隠して飄々と煙草の煙を吐き出した。 動物はこわごわと踊り子のドレスをつかんで居心地悪そうに隠れている。 道化師は少し悪びれた様子で長いまつげを瞬かせて肩をすくめた。 踊り子は大きく深呼吸してから、くるりと村人の方へ振り返ってにっこり笑った。 「続けましょうか」 「あんたたち、こっちで何かあったからっていちいち反応して来ないでくれる?あと取り繕うのがめんどくさいじゃない」 「そりゃ仕方ないよ、シーナが危ない目に遭うのを黙って見てるわけにいかないじゃないか。  パピも本物だってことがバレたら殺されちゃうんでしょォ?ねーワイル」 「というよりもわしはなんでわしらがこんなショボいチンドン屋をしとらなあかんのか分からへんのやけど」 「それがレジスタンスでのあたし達の役割なのよ。何度言ったらわかるの」 「ボクは慣れてきたけどなあ、意外と楽しいよネ」 「あんた一番下手くそなくせに何言ってんのよ」 「グリはもういやグリ…」 「パピは巻き込まれただけだから余計カワイソウだよねぇ」 「付き合ってもらうしかないわ。それが少なくとも一番安全だし、そういう約束であんたのこと引き取ったんだから」 日も落ちた森の中であった。四人は旅装束に着替え、火を囲んで夕食を取っていた。 森といってもこのあたり一帯の植物は一年中冬枯れしており、薪には困らぬものの寒さはしのげない。 旅人の彼らにとって食事や睡眠を取る場所には風の強く当たらぬ大きな岩陰を選ぶのが常だった。 青いドレスに金髪の女性は名をシーナという。このパーティのリーダーであり、エルファリアレジスタンスのナンバー2だ。 風の魔法を操る魔法使いであり、その冷徹な美貌と凄まじい魔法の威力から「青嵐」の二つ名をもつ。 今はすこぶる不機嫌な顔をしており、彼女の周りでヂリヂリと音を立ててラが渦巻きはじけている。 あまり食べずにタバコをくゆらせている痩せて背の高い男はワイル。元盗賊だ。 砥がれたナイフのような鋭い印象がある。 天涯孤独の身でエルファリア各地を放浪していたが、ある時ふらりとレジスタンスに入ってきた。 西端地方の訛りが強く、都会育ちの人間にはなかなか彼の言葉が理解できないであろう。 もっとも口数の多い青年はトリアスという名である。 ワイルとは対照的に纏っている雰囲気はやわらかだが、どこかつかみどころがない。 彼の着ている鎧は隣国フォレスチナのものだ。傍らには弓と曲刀、そして古いギター。 長く艶やかな藍の髪に目のさめるような麗しい美貌を持つが、彼の耳は奇妙に長かった。 そして着ぐるみかと思われた動物がパピ。人間ではないが、れっきとした知的生命体である。 種族の名はグリフといい、15年前帝国によって乱獲され、絶滅に瀕した歴史がある。 孤独な彼は今 ふかふかの絨毛に覆われた桃色の丸い体をちぢめ、 心細そうに大きな瞳をくるくる動かしてメンバーを交互に見ている。 シーナは額にしわを寄せてこめかみを押さえた。 「もうリリにはいられないわね…しかも他のメンバーにリリを監視してもらわなきゃ…」 干し肉を火であたためながらトリアスが、 「村長さんはまた来てくれって言ってたよ」 「あんたバカなの?言葉どおりの意味なわけないでしょう、魔物の隊長を怒らせたのよ。  うまく追い返せたとはいえ、祭りが終わったらあの村の人たちどうなるか…」 「なら今のうちに殺るか」 だしぬけにワイルが言った。 「だめです」 ぴしゃりとシーナがはねつける。 「新しい魔物の隊長が駐屯しに来て終わりよ。今のよりバカで横暴で支配欲の強いヤツが来たら最悪だわ」 「そうだよー、マジいたちごっこってヤツ」 おびえるパピをナデナデしながらトリアスがのんびりと口をはさむ。 「他人事みたいに言うんじゃない、あんたがあいつを踏みつぶしたから騒ぎが大きくなったんでしょ」 「わしはアレおもっしょかったけどな」 「でしょォ?」 「あんた達あたしのウィンドくらいたいの?」 「いやぁ〜、今日のことは悪かったからさァ、今度からもうちょっと気を付けるよォ。  だけどシーナだってそう思わないかなあ、何もできないのはヤなんだよ」 トリアスはシーナを見た。焚火の炎が彼の翠の瞳の中に映っている。朱の光の明滅。 「ボクたちはたった四人だから、遊撃隊とか偵察みたいなことしかできない。  それはレジスタンス全体においてもいえることだ。数が少なすぎる。 だけどこの国は、皇帝による圧政が15年も続いているんだよ…いったいいつまで耐えればいい。フォレスチナももう墜ちるだろう… それでも、いつ来るか分からない“勇者”を待つのかい?」 ワイルの煙草の煙が真上へのぼる。パピはその行方を目で辿った。 空が低かった。雲は赤く星はない。雨にはなるまい、が、空気が湿度で重い。 ラが乱れてから乾燥し寒々しい気候となったこの国にはあまりないことであった。 四人を取り囲んでいるものはすなわち、四人を隔てているものであった。それは今はまだ、とても広かった。 「“勇者”なんて…いないわ」 シーナは弱くなってきた炎を見つめた。 「何もできないなんて、そんなことない…あたし達ができることは必ずあるわ。 どんな小さなことでも…意味はあるわ」


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