BORDERLINE

カーラモンが17歳の夏のことだった。 カーラモンは当時、アルバイトに明け暮れる日々を送っていた。 プラムで一人暮らしをし、僧侶になるための勉強をしている途中だったのだが、だいぶ早い段階で嫌気がさし、 父と母の目が届かないのをいいことに、礼拝をさぼっては好き放題遊んでいた。 自分でも分かっていたことだが、とにかく要領が良かった。 どんなバイトをしても上から気に入られ、昇進や正社員昇格の話もすぐ出た。 しかしそのたびにカーラモンはそのバイトをやめ、次の仕事先を探すのだった。 口八丁で人を思いのままに操ることを楽しんでいた。 顔のせいで女にはもてないが、金を積めばそれも手に入る。 自分にできないことは何もない、そう思っていた。 これほどうまくやっていけるのだから、自分が僧侶になる意味など特にない。 あまりにも思い通りになりすぎる世の中に、カーラモンは飽きていた。 遊ぶ為と、バイトの口を探す為にその日の夜もファーの酒場を訪れていたカーラモンは、 酒場の端に小さなブースを取っている、これまでに見たことのない奇妙な人物を見つけた。 オレンジのローブに身を包んだ、占い師のような風体だった。 オレンジ色のローブはかなり派手だが、酒場の中が暗いのとかれ自身の背が低いので、思ったよりも目立たない。 売れない占い師が細々と営業をしているのかと思ったが、かれの前の机には、紙が一枚置いてあった。 『アルバイト募集。募集人数:1名。内容:交通量調査』 書いてあるのはそれだけだった。かれは呼び込む気もなく、ただうつむいて座っている。 交通量調査というのは、よくある内容のものだ。 交差点や街角で座っていて、前を通って行く乗り物や人数を数える。作業も単純だし、日払いで即金を受け取れるので、楽だった。 「アルバイト募集してんの?」 カーラモンは近づいて聞いてみた。 「はい。どうですか」 占い師…ではなかった、募集人は顔を上げ、男か女かもわからない甲高い音声で答えた。 「どこでやるの?」 「エルファリアのレイというところです」 「エルファリア!」 カーラモンは驚いた。エルファリアとフォレスチナは現在、国交が遮断されている。 わずかな貿易船は確かにファーから出ているが、観光などが目的の出入りは厳しく制限されており、民間人がまず行くことはできないのだ。 「連れてってくれんの?」 「現地集合です」 「あ…そう」 ならフォレスチナで募集するなよと、カーラモンは文句をつけて去ろうかと思ったが、思いとどまった。 結婚二十年めでもわりと仲の良いカーラモンの父と母は、ふたりでしばしば晩酌をしていることがある。 ふだんは標準語を使っているふたりだが、酔ってリラックスすると、出身地であるエルファリアの西地方独特の訛りを話し出し、 若い頃の思い出などを語ったりするのだった。 父のカーラムはその時いつも、 「エルファリアは業の深い土地や」 と言うのだった。 息子のカーラモンには、父母はたいした話はしてくれなかった。暗号のようにこそあど言葉を使って、ふたりにしかわからない話をする。 疎外感を感じるので、そういう時いつもカーラモンは自室に引っ込むのだった。 そんな思い出もあり、カーラモンはかねてからエルファリアに興味があった。自由な交通が断たれている今、なおさら行ってみたい。 いったいどんな土地なのか。観光をして金も入る、一石二鳥だ。 カーラモンはバイトをやると募集人に告げた。 募集人は「じゃあ、来てください」と言い、当日の日付と開始時刻、終了予定時刻を告げた。カーラモンの名前も連絡先も確認しなかった。 カーラモンは、同日、同じ酒場で密談をしている商人を見つけた。 なんでも、ウルの山にいる自然モンスターを、エルファリアへ密輸するという。 欲しがっているのは珍しい魔物を集めている好事家や危ない研究者だった。よくある話である。 「役所に届けちゃおうかな」 「勘弁してくれ」 「じゃ、オレも乗っけてってくれる?」 密売人と交渉し、カーラモンは簡単にエルファリア行きの切符を手に入れた。 こういう密輸船は、きちんとした貿易港であるファーからは出発しない。国の管理の目が厳しいからだ。 フォーレス城の北の森の中にある人気のない海岸から出発して、レイの西岸に着くという。出発の日時も行先もドンピシャだ。 身震いするほどの幸運を感じた。 モンスターの檻と同じ船倉でいるのは気分が悪かったが、短い船旅で済み、無事にカーラモンはエルファリアの地を踏んだ。 「出航の時間までには帰って来いよ。でないと置いて帰るぜ」 「あいよ、ありがとね」 密売人に安く売ってもらった地図を見ながら、なんとか現場に辿り着くと、 いつもフォレスチナでやっているのと同じような要領で、椅子やカウンター、備品などを渡され、場所を指定された。 あとはそこで一日座って、人の数を数えるだけでいい。 この仕事は二人一組で、一時間で数える役と休憩する役を交代しながら行う。 カーラモンの相方は、当然ながらエルファリア人だった。二十代、背が高く痩せた男だ。とても目つきが悪く、 (ヤクザかな) カーラモンは内心びびったが、男はカーラモンと目を合わせる気さえないようだった。 指定された場所へもさっさと一人で歩いて行ってしまい、カーラモンは慌ててついていった。 「どっちから先に数えるの始めます?」 と聞くと、男はどうぞ、と言うように右の手のひらを上に向けて差し出すしぐさをした。 (喋りもしないのかよ) まあ、こんなヤクザみたいな男と話をしていて、どんなきっかけでイチャモンをつけられるかわからないから、いっそありがたい。 一般人には手を出さない任侠タイプなんだ。そう思い、カーラモンは先に数える役を引き受けた。 男はどこかへ行ってしまった。 そしてカーラモンは椅子を立てて座り、数えはじめたのだが、これがまったく人も乗り物も通らない。 地図を見ると、レイの東にボアの町、その北にはエルファス城とある。 エルファスはもちろん首都だし、ボアもかなりの都会だと思うので、その西に位置するレイもそこそこの人通りがあると思ったのだが、 (何もねえ…) カーラモンはうら寂しい通りにひとり、ぽつねんと地蔵のように座っているだけだった。 一時間が永劫のように感じた。 結局、相方の男が帰ってくるまでの間に、通行人はたったのふたりだった。 カーラモンはバインダーに挟まれた通行票に、時間帯と「2」という数字を書き込んで、男と交代した。 男は座るなり煙草をふかしはじめた。カーラモンは早々にその場を立ち去った。 観光をしようと思ったのだが、周りに何もない。 時間を潰すのにもわりとつらい場所だった。案外ボアまでも遠いらしく、一時間ではどこへも行けなかった。 結局、散歩をした程度でカーラモンは帰って来ざるを得なかった。 男と交代して、バインダーを見ると、男は自分の時間帯の横に「32」と書いていた。 (えっ。そんなにあるの?) 思わず男を振り返ったが、男は相変わらずカーラモンには目もくれず、どこかへ行ってしまう。 (日が高くなってきたから、そしたら交通量も多くなるのかも) そう思いカーラモンは一時間過ごしたが、その間に通りすぎた通行人は3人だった。 その後また一度男と交代し、昼飯を食べて戻って来ると、今度は男は「41」と書いている。 (なんだ?この差は) カーラモンは動揺した。自分は居眠りなんかしていない。ちゃんとした事実を書いている。 もしかすると、あまり人数が少ないと仕事をサボっていると思われるので、男は水増しした数字をでたらめに書いているのではないだろうか。 そんなことを考えながらまた一時間座っていたが、その間は0人だった。 どうしよう。男に合わせようか。そうも考えたが、不正がバレると給料がもらえないかもしれない。 せっかく苦労してエルファリアくんだりまで来て、それはあまりに殺生だ。 だいたい、ちゃんと仕事をしたかどうかはチェックしてもらえればわかる。あの男は見るからに胡散臭い。 そんな奴に合わせて、自分が濡れ衣を着せられるのはごめんだ。そう思ったカーラモンは潔く「0」と書いて男と交代した。 その後も、男が数えた時間帯は30〜40人ほどの通行人がいて、カーラモンの番になると一桁、という状況が続いた。 よほど男に聞こうかとも思ったが、男は何も喋らないし、カーラモンもこんな不気味な男と関わるのが面倒だった。 どうせ一日きりのバイトだし、エルファリアからもおさらばする。なので、何も言わないことにした。 ウキウキな観光気分はすっかり失せ、ただ時間が過ぎるのを願った。 最後の時間帯は男の番だった。 椅子や周辺の備品を片付けて戻る際、バインダーを見てみると、なんと「114」と書いてある。 日も暮れかかった頃あいだ。どう考えてもそんなに通るわけがない。 ヒヤヒヤしながら集合場所に帰り、雇用主の業者の社員に備品を返すと、案の定、社員はバインダーを確認して変な顔をした。 何か咎められたら、相方の男がおかしいのだと主張するつもりだったが、結局そのまま何も言われずに日給を渡された。 船の泊まっている海岸へ帰ろうとした時、あの男が前を歩いているのに気付いた。 もうこのまま関わり合いにならないでおくこともできたのだが、 あの仕事ぶりはあまりにも適当すぎるだろうとさすがのカーラモンも呆れかえっていたので、思い切って声をかけた。 暴力を振るわれそうになったら一目散に逃げようと決めた。 振り返って首をかしげた男に、 「別にちゃんと金貰えたから良かったけど、テキトーな仕事すんのやめた方がいいっすよ」 とカーラモンは忠告した。 すると男は、不快そうに眉を寄せ、 「お前こそ、見えへんくせに応募してくんなや。足手まといじょ」 初めて口を開くと、マカル出身の父と母よりもきつい西訛りが飛び出してきた。 訛っているからではなく、カーラモンは何を言われたのかまったく分からなかった。 では何を数えていたのかと聞くと、 「お前が見えへんかったもんじゃ」 男はそう言うと薄気味悪い笑いを浮かべ、木立の中へ消えて行った。 カーラモンは恐ろしくてたまらなくなった。 フォレスチナへ帰ってくると、すぐにプラムへ戻り、以前よりは多少真面目に勉強に取り組むようになった。 その甲斐あって、一年後には僧侶の資格を取得でき、癒しの魔法が使える程度の法力も身についた。 後になって知ったことだが、カーラモンが密売人から買った地図は15年ほど前のものだった。 現在のレイには、もう、住んでいる人はほとんどいないという。 エルファリアの政権がシーラルのムーラニア帝国に交代した際、 住民が反乱を企てていたという咎でレイの村で大量虐殺が行われたと、ギスト図書館の歴史書に記されていた。 カーラモンは酔った時に父が口癖のように言う言葉を思い出していた。 「エルファリアは業の深い土地や」 その“業”とは何なのか理解できるまで、ちゃんと僧侶の勉強をすべきだと思った。 そうでない状態で、エルファリアの地を踏んではいけない。 越えてはならない境界。 あれからバイトも減らし、ファーへ行く頻度も低くなったカーラモンだが、 その後どの酒場や集会所へ行ってもあの業者のバイトは二度と募集されているところを見かけなかったし、 誰に聞いてもその業者と募集人の存在を知らなかった。 今でも、あれは何を数えるバイトだったのか、気になっている。


back