NEW AGE STRANGER
その世界は海であった。
海は全ての世界を繋ぐ生き物であった。
命はすべて海で生まれ、島に上がって過ごした。
その世界の東の果てに、一つの島があった。
その島は【the Isle of the blest】…ラに祝福されし地と呼ばれていた。
ラとは命をはぐくむ力。生命と魔力の源。
すべてのものは自らの中のラにより存在し、自らの中のラが破壊されれば死んだ。
その島にはラを欲する生き物と、
ラを操ることができる生き物と、
ラを守る生き物と、
ラを乱す生き物がいた。
人間とグリフとエルフと魔物であった。
古の時代、ラを自在に手にしようとする人間と、ラを操る秘宝を奪われまいとするエルフの間に争いがおきた。
ラを操ることのできる生き物・グリフとラを乱す生き物・魔物は、人間とエルフが戦うための道具となった。
空は濁り大地は沈み海は枯れた。ラは混沌とし、多くの生き物が死に絶えた。
武器も砦も人もラもほとんど尽きた頃、人間とエルフの生き残り達はやっとあやまちに気がついた。
争いのために数多の命が、そしてラが犠牲になったことを悔い、人間とエルフは互いの支配も和解も諦め、分かれて住むことにした。
人間は魔物を使役することをやめ、魔物を製造する技術を本に記し、世界で最も大きな書物庫を一つ作り、その最奥におさめた。
エルフはグリフから知りえたラを操る技術を封印し、言葉としてのみ石版に刻み、碑にすると各地に散らした。
かくして闇は去り、世界はもう一度創造されることとなった…
その日リリの村では、春の豊穣を願う祭りがおこなわれていた。
神話にあるエルフの王エルザードと王妃デイリリとの結婚式が行われたのが春の水の月で、エルファリア地方ではそれにあやかり、
水の月に生命と生育、豊穣の象徴である祭りを行うのがならわしである。
ムーラニア帝国軍に搾取されて痩せ細った経済状態ではあったが、
近年 祭りの時期にだけは帝国軍はあまり干渉してこず、一年に一度の解放感に町は湧いていた。
いつもは寂れた大通りの両脇には屋台が並び、民族衣装を着た娘たちが町を行進する。
普段魔物におびえて暮らす人々も久しぶりに明るい表情で通りへ出て、その様子を見物する。
子供たちは花びらと紙吹雪の散る中をはしゃぎ声をあげて走り回り、今日ばかりはだれもそれを咎めない。
さらにこの日はどこからか旅芸人の一団がやって来ており、ささやかながら村祭りを盛り上げていた。
大通りの中間地点で派手な衣装の道化師が楽しげな音楽を奏でており、周りに人だかりができている。
音楽を聴いているというより、その道化師の顔に施された大げさな化粧よりもはるかに映えるその下の美貌に見惚れて動けないでいる女性が多い。
曲がり角では曲芸師の男がナイフでのジャグリングを披露している。
痩せて背の高い、きりっと尖った目の男はものも言わず涼しい顔でただ黙々と、長い手足をひらめかせてナイフを操っている。
次々に増えていくナイフに人々は息をのんで様子を見守る。
向かいの白い家の前で美しい踊り子が青い衣装を着てくるくると舞っていた。波打つ金髪に花が後から後から降り注ぐ。
彼女はやや遠くから聞こえる道化師の奏でる音楽に合わせて踊っているようだ。最前列で見ていた村人から手拍子が始まる。
子供がぶかぶかの着ぐるみを着ているのだろうか、大きくて柔らかいペンギンのような動物が踊り子の傍にいて、帽子を持って立っている。
愛らしいしぐさでよちよちと動物が客の間を回ると、人々がその中にコインを入れていく。
動物の着ぐるみをなでようとした少女の手から、夢中で力を緩めてしまったのだろう、風船が離れ浮き上がって行った。
「あっ!パパ、取って取って!」
少女の叫びもむなしく空へ上って行った風船がその時突然、割れた。
その場に降りていた華やかで和やかな空気が一瞬にして凍りつき、ざわりと動揺した。不穏などよめきが円状に広がる。
この村に駐屯して支配している天魔の魔物の隊長が、部下を率いて現れたのだ。
(なぜこんな時に…)
(また誰かを見せしめに?)
(とうとうこの日までも…)
人々は恐怖のまなざしで彼らを見た。
たちまち人垣が割れて道ができる。
魔物達は屋台の椅子を蹴り倒したり、そばにいた村人を脅しつけたりしながら歩いていたが、白い壁の前に立つ踊り子に気が付くと、
下品な動作でそちらへやって来た。
動物はぴっと毛を逆立てたが、踊り子はおびえる素振りは一切見せず、動物を後ろに隠すように立つと彼らに対して優雅に辞儀をした。
「初めまして、ムーラニア帝国魔物軍リリ支部隊長ディノピタパット様、お会いできて光栄です。お祭りを見に来られたのですか」
「フン、低俗ナ人間ノ祭ナド。今日ハ特ニ騒ガシイノデ注意シニ来タノダ。公務ノ妨害ニナル」
「まあ、それは失礼を…わたくしどもは旅芸人一座でして。せっかくのお祭りなのでよかれと思ったのですが。それでは、もう少し静かに」
「女、上玉ダナ!ワシノ館ヘ来テ踊ッテモラオウカ」
ろくに話をかみ合わせようとせず巨大な天魔は踊り子に迫り、硬質なクチクラでできた腕を伸ばして附節(ふせつ)で彼女の顎を掴み上を向かせた。
痛みに一瞬顔をしかめた踊り子がすぐに表情を繕い何かを言いかけたその瞬間、
弾丸のような勢いで飛んできたナイフが高い金属音を響かせて白い石壁のちょうどひび割れの部分に突き立った。
一寸違えれば魔物の腕の関節を切断しかねない位置だ。
魔物は「ヒッ」と小さく叫んで思わず踊り子から手を放した。踊り子は黙ってナイフの飛んできた先を辿る。
「おーっと、しもたしもた」
向かいの通りの曲がり角。
ダミ声の主は曲芸師であった。
「お取込み中えろうすんまへんなあ、旦那。怪我はいけますか。ハイハイちょっとネ、みなさん、まがるけんのいてよ」
言いながら人々の間を器用に縫ってあっという間に近づいてくると、
彼は魔物の隊長と踊り子との間に蜘蛛のように長い手を差し入れ、ナイフを壁から引き抜いた。
シャキンと刃物の擦れる音が響き渡る。
ナイフをくるくると弄びながら、曲芸師は魔物の隊長を上から見据えた。
煙草を咥えた口元には笑みを浮かべているが、装飾品の下から覗く三白眼が炯々と輝いている。
「こいつはほんま悪そでね、すぐどっか飛んでいきまわりよんですわ。かんにんかんにん、こらえてつかー」
「キ…貴様、何ト無礼ナ!!シカモソレハ“醜き言葉”デハ…」
魔物の隊長が我を取戻し怒りの目を曲芸師に向けようとした瞬間、
「ああああああああああああああああ!!!!!!」
フェードインしてきた叫び声が急速にこちらに近づいてくる。
何事かと魔物が目を向けると、先ほどまでギターを弾いていた道化師である。
巨大なカラーボールに乗っており、ものすごい速さでこちらへ向かってくる。
曲芸師が踊り子・動物を脇へ逃がし、自身も直前でヒョイとかわしたので、道化師はそのまま魔物の隊長にボールごと突撃してひっくり返った。
「ふわー、止まったぁ、いっててて」
彼は大げさな口調で呟きながら起き上がると、
ボールの下敷きになった魔物を見下ろしておもむろに髪を整えてから、大きな涙型の印のメイクを施した頬をにっこりと吊り上げ、
「ごめんなさいごめんなさい!大丈夫ですか大将!!ボク歌うたうのメインなんですけど!!
ちょっとあのーウチも不景気で経費削減のために玉乗りとか他の芸もやんないといけなくて!でもすごい下手なんです!
マドモアゼルに乗るのは得意なんですけどネーッていうか下ネタでしたよね今のー不謹慎ですいませんアハハ!
っていうか立てますか!轢いちゃってますけど立てますか大将!!」
まくしたてながら道化師はビニールのカラーボールを高いヒールの足で踏みつけ、もう一方の足で魔物の着ているマントを踏みつけると、
魔物の腕をちぎれんばかりに引っ張った。
「イタイタイタイタイタ!!」
踏んだり蹴ったりで埃まみれになった魔物の隊長はやっとのことで立ち上がると、怒りと屈辱に単眼をすぼめ、
「コノ下層民風情ガ、リリ駐屯軍隊長デアルワシヲ…帝国軍ヲ愚弄スルノカ!村人全員、命ガイラヌトイウコトダナ!」
その言葉に、遠巻きに見ていた村人たちは慄然となった。
「とんでもない!」
踊り子はそれを遮るように大きな声を出し、曲芸師と道化師を押し退けて前に出るとにっこりと笑った。
「我々はただの大道芸人の一座、お上に刃向うなんてそんなこと。村の方々とも何の関係もありません。
大変失礼をいたしましたディノピタパット様、卑しい身分ゆえ無知なる非礼をお許しください。
エルザードに匹敵するほどのお力を持つシーラル皇帝陛下のもとで暮らせることを我々はとても感謝しております。
貴方様も皇帝陛下の腹心の部下でいらっしゃるのなら狭い了見ではありますまい、
どうかそのお心の広さに免じて、許してはいただけないでしょうか」
「……」
魔物の隊長は野蛮な四人の旅芸人を前に、しばし思考した。このまま怒りに任せてこの一座を殺戮しこの場を蹂躙してもよいが、
のちに騒ぎを起こした理由を上から問われたり始末を命じられる可能性がある。それも面倒であるし、
今の踊り子の言葉のおかげでこの場はなんとか面目を保てるかもしれない。
「フン!植民地ノ奴隷ドモガ、生カシテオイテヤルダケデモアリガタイモノヲ…
祭リダカ知ランガ、ドウセ貴様ラノ作ルモノハスベテシーラル皇帝陛下ニ捧ゲル運命。
ソノ為ニ自分達デ英気ヲ養ッテイルノハ感心ダカラナ、セイゼイ短イ時間楽シムガヨイワ」
精一杯の威厳を保ってそれだけやっと言うと、魔物の隊長は部下を引き連れて這う這うの体で帰って行った。
それを見送った四人がふと気が付くと、広場は静まり返っていた。
四人の周りには一定の距離を開けて人が集まり、誰もがじっと彼らを見ていた。
背に突き刺さる視線。
曲芸師はナイフを持ったままの右手を隠して飄々と煙草の煙を吐き出した。
動物はこわごわと踊り子のドレスをつかんで居心地悪そうに隠れている。
道化師は少し悪びれた様子で長いまつげを瞬かせて肩をすくめた。
踊り子は大きく深呼吸してから、くるりと村人の方へ振り返ってにっこり笑った。
「続けましょうか」
「あんたたち、こっちで何かあったからっていちいち反応して来ないでくれる?あと取り繕うのがめんどくさいじゃない」
「そりゃ仕方ないよ、シーナが危ない目に遭うのを黙って見てるわけにいかないじゃないか。
パピも本物だってことがバレたら殺されちゃうんでしょォ?ねーワイル」
「というよりもわしはなんでわしらがこんなショボいチンドン屋をしとらなあかんのか分からへんのやけど」
「それがレジスタンスでのあたし達の役割なのよ。何度言ったらわかるの」
「ボクは慣れてきたけどなあ、意外と楽しいよネ」
「あんた一番下手くそなくせに何言ってんのよ」
「グリはもういやグリ…」
「パピは巻き込まれただけだから余計カワイソウだよねぇ」
「付き合ってもらうしかないわ。それが少なくとも一番安全だし、そういう約束であんたのこと引き取ったんだから」
日も落ちた森の中であった。四人は旅装束に着替え、火を囲んで夕食を取っていた。
森といってもこのあたり一帯の植物は一年中冬枯れしており、薪には困らぬものの寒さはしのげない。
旅人の彼らにとって食事や睡眠を取る場所には風の強く当たらぬ大きな岩陰を選ぶのが常だった。
青いドレスに金髪の女性は名をシーナという。このパーティのリーダーであり、エルファリアレジスタンスのナンバー2だ。
風の魔法を操る魔法使いであり、その冷徹な美貌と凄まじい魔法の威力から「青嵐」の二つ名をもつ。
今はすこぶる不機嫌な顔をしており、彼女の周りでヂリヂリと音を立ててラが渦巻きはじけている。
あまり食べずにタバコをくゆらせている痩せて背の高い男はワイル。元盗賊だ。
砥がれたナイフのような鋭い印象がある。
天涯孤独の身でエルファリア各地を放浪していたが、ある時ふらりとレジスタンスに入ってきた。
西端地方の訛りが強く、都会育ちの人間にはなかなか彼の言葉が理解できないであろう。
もっとも口数の多い青年はトリアスという名である。
ワイルとは対照的に纏っている雰囲気はやわらかだが、どこかつかみどころがない。
彼の着ている鎧は隣国フォレスチナのものだ。傍らには弓と曲刀、そして古いギター。
長く艶やかな藍の髪に目のさめるような麗しい美貌を持つが、彼の耳は奇妙に長かった。
そして着ぐるみかと思われた動物がパピ。人間ではないが、れっきとした知的生命体である。
種族の名はグリフといい、15年前帝国によって乱獲され、絶滅に瀕した歴史がある。
孤独な彼は今 ふかふかの絨毛に覆われた桃色の丸い体をちぢめ、
心細そうに大きな瞳をくるくる動かしてメンバーを交互に見ている。
シーナは額にしわを寄せてこめかみを押さえた。
「もうリリにはいられないわね…しかも他のメンバーにリリを監視してもらわなきゃ…」
干し肉を火であたためながらトリアスが、
「村長さんはまた来てくれって言ってたよ」
「あんたバカなの?言葉どおりの意味なわけないでしょう、魔物の隊長を怒らせたのよ。
うまく追い返せたとはいえ、祭りが終わったらあの村の人たちどうなるか…」
「なら今のうちに殺るか」
だしぬけにワイルが言った。
「だめです」
ぴしゃりとシーナがはねつける。
「新しい魔物の隊長が駐屯しに来て終わりよ。今のよりバカで横暴で支配欲の強いヤツが来たら最悪だわ」
「そうだよー、マジいたちごっこってヤツ」
おびえるパピをナデナデしながらトリアスがのんびりと口をはさむ。
「他人事みたいに言うんじゃない、あんたがあいつを踏みつぶしたから騒ぎが大きくなったんでしょ」
「わしはアレおもっしょかったけどな」
「でしょォ?」
「あんた達あたしのウィンドくらいたいの?」
「いやぁ〜、今日のことは悪かったからさァ、今度からもうちょっと気を付けるよォ。
だけどシーナだってそう思わないかなあ、何もできないのはヤなんだよ」
トリアスはシーナを見た。焚火の炎が彼の翠の瞳の中に映っている。朱の光の明滅。
「ボクたちはたった四人だから、遊撃隊とか偵察みたいなことしかできない。
それはレジスタンス全体においてもいえることだ。数が少なすぎる。
だけどこの国は、皇帝による圧政が15年も続いているんだよ…いったいいつまで耐えればいい。フォレスチナももう墜ちるだろう…
それでも、いつ来るか分からない“勇者”を待つのかい?」
ワイルの煙草の煙が真上へのぼる。パピはその行方を目で辿った。
空が低かった。雲は赤く星はない。雨にはなるまい、が、空気が湿度で重い。
ラが乱れてから乾燥し寒々しい気候となったこの国にはあまりないことであった。
四人を取り囲んでいるものはすなわち、四人を隔てているものであった。それは今はまだ、とても広かった。
「“勇者”なんて…いないわ」
シーナは弱くなってきた炎を見つめた。
「何もできないなんて、そんなことない…あたし達ができることは必ずあるわ。
どんな小さなことでも…意味はあるわ」
この国の名はエルファリアという。
エルフの歌、という意味である。
隣国ムーラニアと同じく、この地にもかつてエルフ達が暮らしていた。
しかし古代大戦によってこの地を追われ、東の山や森に散り、今もそこでひっそりと暮らしている…
そういわれている。
エルフを追い出した形でそこに住み着いた人間であったが、彼らはエルフの自然を守る暮らしを受け継ぎ、穏やかに暮らした。
涼やかな風が吹き、緑の美しい土地であった。
エルファリアは隣の小国ムーラニアとの交易をすすめており、さらなる友好を深めてゆくゆくは一つの国として統合しようという動きがあった。
若きエルファリア王はムーラニア王女を妻に迎えた。
政略結婚ではあったが、エルファリア王とムーラニア王女は互いをいたわり深い愛が生まれた。
国民達はみな二人を祝福し、世の平和は永劫に続くと思われた。
それが十五年前の話である。
ところがこの二つの国にはそれぞれ野心を持った男が一人いた。
ムーラニア帝国軍大将シーラルと、エルファリア王国騎士団長ダルカンであった。
ダルカンとシーラルは結託し、クーデターを起こしたのである。
シーラルはムーラニア王を殺すとみずから皇帝を名乗り、
どこから手に入れたのか魔物を生み出す技術によって大量の魔物による軍隊を作り出し、またたく間にムーラニア全土を恐怖で支配することに成功した。
隣国のエルファリアは援軍を派遣しようとしたが、ダルカンの裏切りによって中からつぶされ、ムーラニアに吸収されてしまった。
エルファリア王は処刑され、王妃と、生まれたばかりの王子は行方不明となった。
亡骸は確認されなかったが、絶望した王妃は王子とともに心中したといわれている。
それからというものエルファリアとムーラニアは、シーラルの支配下に置かれることとなり、
魔物が我が物顔に跳梁跋扈する奇怪で陰鬱な世界に成り果てた。
魔物はラの乱れから生まれる生き物であると同時に、みずからの存在そのものがラを乱す力を持っている。
その相乗効果でラは荒れ狂い、気候も草木の成育も野生動物の生態系も、いびつで歪なものへと変化していった。
人間はそれらにおびえながらこそこそと暮らしているのである。
魔物と呼ばれる彼らにもある程度の知性があり、言語を解し、魔法をあやつることまでできる者もいる。
ムーラニア帝国によって生み出された魔物たちは組織化されており、各地方の町や村の支配はほとんど魔物たちが単独で行っていた。
島の西側の二国、フォレスチナとカナーナはムーラニアの侵攻に対して必死の抵抗を続けているが、敗北も時間の問題といわれている。
人々は絶望にうなだれ、恐怖の時を過ごしていた。
ギア村はエルファリアの西の辺境にある。老人ばかり十数人のみが住んでいるうら寂れた村だ。
搾り取れるものがないと判断されたのだろう、帝国の役人はその村に近寄ろうとはしなかった。魔物も置かれてはいない。
ただ国境にあったこの村は、十五年前の戦争の際、隣国フォレスチナへ亡命しようとするエルファリア難民で溢れた時期がある。
このときある家の家主が難民達を一時滞在させてやるために自宅の地下を解放し、その際増築もしていた。
そこにレジスタンスは目をつけ、家主と交渉のうえ、ここをアジトと決めたのである。
家主は気難しい難聴持ちの老人であった。名はチントという。
チント老人は打ち解ければ気さくな人物で、
帝国の圧制を当然よく思っていなかったこともあり、この申し出を快諾した。門番まで買って出てくれるようになった。
それ以来エルファリアレジスタンスはギアを本拠地に活動を続けている。
枯森に隠れた裏道を通ってきた一行は、誰もいないのを確認し、裏口からチントの家に滑り込んだ。
もたもたしていたパピはトリアスが抱えてマントの中に隠す。
ただ村の住人は全員レジスタンスのことを承知しているので、村の敷地に入った段階でほぼ警戒は必要ない。
裏口から入った先は狭い小部屋で、前の壁に扉があった。ドアノブはない。
「合言葉は」
「“祝福されし緑の園”」
かけられた言葉に答えると、内側から扉が静かに開き、
「ご苦労じゃったな」
チント老人が出迎えた。
「お疲れ様で〜す」
トリアスが明るい声を上げる。
扉の先は台所であった。
この場所ならばたとえチント宅に客が来ていても通常は寄り付かない。これが彼らの出入り口である。
チント老人は四人を通すと扉をしめた。内側にはドアノブがついている。
「随分大きな荷物を抱えとるのお」
「あ、これはですねえ、川べりを歩いてたら大きなスイカが川上から流れてきまして」
笑顔で澱みなく喋りながらトリアスがマントの中からパピを取り出して床に置くと、
「モノ扱いするなグリ!」
パピはぺちぺちと怒りの足音を立ててシーナの後ろに回り、スカートにしがみついて離れなくなってしまった。
「嫌われちゃったかなぁ」
「もとからでしょ」
その背後からもっさりとワイルが、
「留守の間変わりは?」
「ないわい」
そっけなく答えるチント老人はワイルのことをよく思っていない。
当然である、ワイルはかつてこの家に盗賊として忍び込んだことがあるのだ。
「つんぼのじいさんが一人でおおきょい家に住んどるんやけん、ほらええカモじゃわ。
ええでせんか、わしからそういう風に見えたちゅうことは、レジスタンスのことは誰にもバレてへんでな」
ワイルがそういう態度をやめないのでいまだに怒りが冷めないのである。
チント老人は棘のある口調で、
「変わりあるとすればお前さんらのせいじゃろう。もう連絡が来とるぞ、リリでひと騒動起こしたそうじゃな」
それを聞いて四人の間の空気がスッと冷える。
数瞬の沈黙ののちトリアスがごまかすように笑い、
「アハハ…あのぉ、すいませんワイルが」
「待て、わし一人とちゃうやろ」
言い争いを始めようとする二人に、
「言い訳無用!!」
シーナが一喝する。
「申し訳ありませんでした!!」
シーナが頭を下げた拍子に帽子がはらりと落ちた。
ワイルとトリアスは一瞬驚いて顔を見合わせ、わずかに逡巡したが、正面に向き直ってチントに頭を下げた。
「すみません、ボクたちが勝手なことをしたせいなんです」
「こいつは悪うない」
「…やれやれ、男どもはまるでだめじゃのう。シーナちゃんのほうが年も下じゃというに」
チントは帽子を拾うとシーナの肩を優しく叩いて頭を上げさせた。
「まあ、わしに謝ることではない。フェルのところへ行って来るとええじゃろう。下で待っとるとさ」
「…はい」
シーナは神妙にうなずいた。
「シーナ、ボクたちも一緒に行って謝るよ。ボクたちのせいなんだし」
トリアスが声をかけるが、
「お前らはわしの説教を聞くんじゃ!」
ワイルとトリアスはチントにがっしりと首根をつかまれる。
「ええ〜!?」
「しんだい。わしはフケる」
「高校生みたいなこと言ってんじゃないよ…」
「グリもシーナと一緒に行くグリ」
「お前もこっち」
「やだあ!こんなやつらといっしょになんかいられないグリ」
「ひどい言われようじゃなお前ら…」
「アー、ちょっと反抗期で」
「シーナ。ええけん、はよう行け」
ワイルがパピに左手をかみつかれ、右手でゲンコツをくらわしながら首を振った。
「…うん」
シーナはそっとその場から離れ、棚の裏に隠れた扉を押し開けると、地下へ繋がる階段を下りていった。
「リリでのことは聞いてるよ。派手にやってくれたらしいじゃないか」
「ごめんなさい」
「…」
レジスタンスの若きリーダー、フェルは明らかに不快な表情でシーナを見た。
シーナは目をそらす。
地下室の中にベニヤ板で壁を隔てて作られた会議室には窓がない。
ランプの薄明かりに照らされたフェルの顔は険しかった。
「罰なら受けるわ」
「そんなことは別に必要ない。うちはそういう組織じゃないからな。
ワイルとトリアスだっけ?君じゃなくてあの二人なんだろ、事を大きくしたのは」
「あいつらはあたしを止めに来ただけよ」
「止めに来た?魔物の隊長を挑発して恥をかかせたと聞いているが」
「あいつらがああしなかったらたぶんあたし、ディノピタパットのこと殺してたから」
シーナは淡々と言った。
フェルは一瞬息を呑み、ついで深くため息をついた。
「シーナ…なんてこと言うんだ。何度も言ってるが、実力からいえば君がレジスタンスのリーダーになるべきなんだよ。
俺より君の方が強いからな。ただ君がふさわしくない理由は」
「あたしが凶暴だからでしょ」
「凶暴っていうか…悪く言うつもりはないんだぜ、分かってくれよ」
フェルは困ったように顔の前で指を組んだ。
「強すぎるんだ…激しすぎる、その力と感情が。
憎む気持ちは分かるよ、俺だってマーベルのことに関しては言えた義理じゃないかもしれない。
でも、魔物を相手にすると見境を失くす癖はできるだけよしてもらいたいんだ。新入りに諌められてるようじゃ困る」
「今回はできるだけ抑えたつもりよ」
シーナは唇を尖らせる。
フェルはシーナを真剣なまなざしで見た。
「シーナ、大丈夫か?」
「…何が」
「あいつらに君をつけた理由をちゃんと分かっているんだろうね」
「…」
フェルは粗末な椅子から立ち上がるとシーナに歩み寄り、両肩に手を置いた。
「監視のためだよ。異民族の男はもともと盗人、帝国に対する恨みはあるだろうが、正義の心などない。
長い髪の方は所詮余所者だ、素性もよく分からないのだろう?いつ裏切るか」
「やめて」
シーナはフェルの手を振り払った。そのまま踵を返し、足早に入り口まで移動する。
「エルファリアレジスタンスは帝国の圧制に苦しんでいる者を受け入れ、ともに戦う。それだけでしょう」
扉を閉める音と共に遠ざかっていくハイテンポのヒールの音を、フェルは黙って聞いていた。
シーナが階段を上って台所に戻ってくると、トリアスとワイルはチントに夕食の準備の手伝いをさせられていた。
パピは退屈そうにその様子を横で見ている。
豆の莢のスジを取っていたトリアスが顔をあげ、シーナの姿をみとめるとヘラリと笑う。
「お疲れ様ァ」
ワイルは皮を剥いているジャガイモに目を落としたまま、
「どやった」
「…べつに」
「今日はちょっと長かった?あ、怒られたんだよねェ、ごめんね、ボク達のせいで」
「べつに」
「また始まったよ、シーナ様の『べつに』。ボク達反省してるからさあ、機嫌直してよ〜、ほら謝ってワイルとパピも」
「わしは反省してない」
「グリなんもしてないグリ」
彼らの会話を聞きながら、シーナは帽子の角度を下げた。
今、自分がどんな顔をしているのか分からない。
「シーナ、わしらはしばらくここでおらなあかんけん、お前先に去ね。
アジトにもんて来るんもえっとぶりやけん、みんなに挨拶してきとってくれ」
ワイルの喋る奇妙な訛りのある言葉は、エルファリアの西方に住んでいたある民族の間でかつて実際に話されていたものらしい。
ただ、あまりに古い言葉であり、今では喋るどころか解する人間もいない。
伝わらなかったり、誤解を受けていることも多いが、構わず彼はその言葉を使い続けている。
ワイルは多くを語らない。
一人で各地を放浪し、盗賊稼業をして暮らしていたという。
ある日チントの家に盗みに入ったところ隠し階段を発見し、偶然抵抗軍のアジトへたどり着いてしまったのである。
そこでお縄になったがもともと反帝国の意志がワイルにもあり、連中と意気投合、今は抵抗軍として生活している。
「ねェ、ワインあるよね?
ボクたちもう何日も保存食だけだったんだもん、まさか煮豆とふかしイモだけってことないでしょォ?」
トリアスは、ワイルが連れて来た。
レイ野原に一人、魔物に八つ裂きにされそうになっていたのを助けたという。
トリアスはフォレスチナ国の軍兵であったというが、なぜ一人でエルファリアの辺境に取り残されていたのか分からない。
本人はエルファリアに出向してきて道に迷ったと言っているが、いったいどこへ出向してきたのか明かそうとしないし、
だいいちレジスタンスにいついてしまっている。行き先のない出向など有り得ないのだ。
「得体が知れない」
フェルがそういうのも無理はない。
この二人に輪をかけて異常なのはパピである。
本当に突然の出来事だった。
その時シーナはエルフの石碑を見ていた。
【エルザード王の魔法は エルフにも禍を齎した
グリフは 人間とエルフの争いを止めさせた
人間とエルフとグリフは エルザード王を魔法と共に封印した】
風の聖地ローズの石碑には古代大戦の結末が記されている。
(王妃を殺され、怒りと悲しみに我を忘れて魔物になったエルザード王…人間もエルフも見境なく殺戮した。
どんな気持ちだったのかしら…それとももう、心などなかったのかしら)
シーナがぼんやりと考えていたとき、
“貴女の周りで、風が謳っている。
風のラに愛されし者。
貴女が、シーナですね”
楽の音のような涼やかな声がした。
はっと振り返ると、そこには一人の娘が立っていた。
波打つ金の髪、翠の瞳。憂いを帯びた表情がえもいわれぬほど美しい。
白磁の肌に豊かな肢体。尖った長い耳をしている。
「……誰?」
“私は、エルル”
娘は言った。そして、己の後ろに隠れるようにしていた何かをそっと前へ押し出した。
鮮やかな桃色の、大きなペンギンのような愛くるしい生き物であった。
”このグリフの子供を預かって欲しい。
特別な力を持ち、ゆえに帝国に狙われている。
あなた方が守るのです。
あなた方にはこの子が必要だ。
この子にとっても、あなた方が必要だ。
この出会いは風のラを持つ者の宿命。必然なのです。
あなた方の絆が永遠とならんことを”
「…あなた方?」
その言葉に訝ってシーナが周りを見回すと、二人の姿があったのだ。
いつからいたのだろう、枯れ木の一本に寄りかかるようにしてワイルがおり、不思議な娘の背後に伸びる道の先にはトリアスが立っていた。
ワイルは驚いたように煙草を口元から離し、シーナに視線を送った。
トリアスは唇を固く結び、やや恐怖の表情を滲ませて娘を見ていた。
二人がなぜそこにいたのかシーナには分からない。
“シーナ…ワイル、トリアス。どうか…お願いします。パピ、いい子でね。
美しく気高い風の謡(うた)。そのラに守られし者たちよ。
ラの祝福がありますように”
その言葉を残し、気がつくと娘は消えていた。
この四人でパーティが結成されたのはつい最近のことだ。
まだ幾日も過ごしていない。
しかしシーナはこの連中と行動を共にするにつれ、奇妙な感情が沸き起こってくるのを感じていた。
"In technopolis, we have to take a bow, take a bow…"
(テクノポリスじゃ お辞儀をしなきゃならない)
トリアスが歌っている。
ギターを手放さない彼だが、実は歌はうまくない。
弾き語りになると集中力がストロークの方に分散してしまうのかもっとひどくなる。
それでも彼はよく歌い、自分は吟遊詩人だといって譲らない。
そういう強情なところは、ワイルが頑なに訛り言葉を使うのと少し似ていると、シーナは思う。
“You will soon get, soon get, soon get your groove…”
(なに そのうちノッてくる)
“ この出会いは風のラを持つ者の宿命。必然なのです。
あなた方の絆が永遠とならんことを”
エルルの言葉が蘇る。
(どうしろっていうの…あたしに…あたしたちに)
考えても疑問と不安しか残らなかった。
シーナはその場に立ち尽くし、ただ目の前の穏やかな光景を見ていた。
結局、今回の騒動の罰として一か月程度の謹慎を命じられた四人は、
その日 ギアとレイの間にある森の一角で大道芸の練習をしていた。
彼らはもともと浮きがちな人間であったし、
例の件については仲間たちからも白い目で見られるので基地にいるのもなんとなく気まずい。
彼らにとっては専門外の大道芸だが、旅芸人と称する以上はうまくなければ通用しない。
しかもたったの四人だ。それらしく見せるには各人それなりの努力が必要である。
「ハァ…なんか虚しい」
トリアスはカラーボールに顔を埋めて溜息をつき、気分を変えようと相棒に声をかけた。
「ワイル、新ネタはどうですか」
デビルスティックをゆらゆらと揺らしていたワイルは眉をしかめる。
「あんまりおもっしょうないな。これだけやと地味やけんなんか喋らなあかんし」
「マイクパフォーマンスってこと?ワイルが?」
「別にやれんことないけんど」
「いや…まあ、そういうのはボクやシーナがやった方がいいかもね」
トリアスは苦笑いすると、木陰であくびをしているパピに目を向ける。
「パピもなンかやったらいいんじゃないかなぁ、せっかくかわいいビジュアルなんだから。うちの団のマスコットだね」
「中身ももっとかいらしかったらええのに…」
ワイルが小声でぼやく。
パピは無言で首をぶるぶる振ったが、ストレッチをしていたシーナがその会話を聞いてやって来た。
「一理あるわ。ちょっとはうちでの生活にも慣れてきたと思うし、パピ、輪くぐりとかやってみる?
倉庫にライオン用のがあったと思うわ」
パピはぎょっとして身をすくめる。
「火だ。火をつけるしかない」
たちまちトリアスの目がサディズムに輝きだし、
「ジャンプできるんか…ほんな短足やのに」
ワイルは逆に心配顔になった。
「やだぁ!!」
叫んで逃げ出したパピをトリアスがとっ捕まえて引き戻す。
「待て!待て待て待て、これはチャンスだ、パピ、いける!練習しよう!
大丈夫ボクらがついてる、やろう珍獣グリフの火の輪くぐり!!」
「ちょ、お前、かわいそやんかほんないきなり」
「大丈夫よ焼いて食おうってんじゃないんだから」
「グリグリー、やだー、ころされるう」
パピを囲んでもみくちゃにしながら一行が騒いでいたところに、
「た、たいへんだ!!たいへ…お前たち何遊んでるんだ」
走ってきた基地の伝令係は必死な表情であったが、そこにいた四人の様子を見てかなりバカにした顔をした。
「うっさいわね遊んでないわよバカ」
「これは仕方ない…」
「なんじゃ、取り込み中じょ」
土埃にまみれたパピをワイルが抱えて助け上げながら問いかけると、伝令は思い出したように青ざめた。
「リリに駐屯している仲間からの知らせだ。リリの魔物の隊長が暴れだしたんだ」
彼は早口でまくしたてた。
「始めは、フォレスチナに侵攻する魔物軍の手助けをすると言いだして、村人たちに大量の兵糧を要求した。
いきなりそんなことを言われても用意できるわけがない。そう抗議した村長を問答無用で殺した。
そして村人たちに、これ以上歯向かうようなら村中に魔物を放つと脅したんだ」
なぜそんなことを思い立ったのか。
どこの馬の骨とも分からぬ旅芸人相手に失態を演じたことを上に報告でもされたのだろう。
なんとかムーラニアの役に立ち、面目を保とうとしたのかもしれない。
「よっぽどバカみたいね、あいつ」
「そんな状況だ、どうやらあの魔物の隊長…ディノピタパットは今回の件、上に了解を取ってやったことじゃないんだろう。
あいつ自身ひどく焦っているようだったという。
それにヤツの部下の魔物は輪をかけて低い次元の連中で、言葉が通じない。
それゆえ上司の命令なしに勝手に出歩いているんだ。脅しも何もあったもんじゃない。
村の中も荒らし放題、村人は外へ出られなくなってしまったそうだ」
そこまで聞いたワイルは無言ですらりと立ち上がると、パピを抱えたまま走り出した。
「グリグリ〜!!」
パピの悲鳴が遠ざかる。
「あっ、ちょ、ワイル!待ってったら!」
あわててトリアスが周辺のものをバタバタと片づけてから後を追って急ぐ。
「報告ご苦労。じゃ、あたし達行くわ」
帽子をかぶりなおしたシーナに、伝令は
「はっ!?だ、だってお前たち、謹慎中じゃ…」
とうろたえる。
「あんたバカなの?じゃあなんで今の話、あたし達にしたのよ」
シーナは淡々と伝令を見下ろして、踵を返した。
街道は無人であった。
空が暗い。夕刻が迫っているが、ただの日照の減少によるものではない。
リリに近づくごとに、ラの乱れがひたひたと染み出すように迫るのが感じられた。魔物の気配が強くなる。
(遭遇(エンカウント)せずにリリまで着けるかしら。着いたとしても…いずれにしろ戦いは避けられない)
シーナは自らの武器である杖を握りしめた。
先頭を行くワイルの走るスピードは徐々に速くなる。
パピが遅れだしたので、シーナは手をつないだ。
トリアスは無言で最後尾を走っているが、先ほどの知らせがもたらされたときに青ざめた顔で
「フォレスチナ王」
とつぶやいていたのをシーナは聞き逃さなかった。
「遅い!わしは先行っとるぞ」
唐突に言うが早いか、ワイルはぐんと速度を上げて風のように走り去った。
「待ってよ!一人じゃあぶな…」
あわててトリアスが言いかけたその時、
ギャアアアア!
身の毛もよだつ叫びをあげ、視界に覆いかぶさるように何かが左側から飛び出してきた。
とっさに三人は後ずさる。
「インキュバスだわ」
天のラの乱れから生まれた魔物である。これらの種を総じて天魔(テンマ)と呼ぶ。
魔物には様々な形態の種があるが、
テンマといえば翼を持ち素早い動きを得意とするもの、頑丈あるいはしなやかな体節を持つ昆虫に似た姿のものが代表格だ。
基本的に魔物の隊長に従属するのは隊長の属性と同じ種の魔物だ。
リリを支配しているディノピタパットはテンマであるため、この界隈に徘徊しているのもやはりテンマということなのである。
シーナ達の目の前に現れた魔物は、皮膜でできた巨大な翼をはためかせている。
蝙蝠のような姿をしているが、視力が発達しており昼でも行動できる。
鈍い赤色に光る眼をこちらに向けると、甲高い鳴き声をあげた。
「…あぶないのはこっちかァ」
トリアスは笑うと、背中に背負った弓を抜き取り、腰の矢筒を探りながら叫ぶ。
「シーナ、パピ、下がって!」
シーナはパピを引きずるように後ろに回す。
「墜ちな」
トリアスは矢をつがえると、引き絞って放った。
矢は腹に命中した。濁った叫び声をあげて魔物は身をよじったが、
次は自分の番だとばかりに二、三度羽をばたつかせるとこちらへめがけて突っ込んできた。
「倒れない!?…フォレスチナの魔物より強いのか!」
予想していない事態に戸惑い、トリアスは次の矢をつがえるのが遅れた。
厚い刃のような翼がトリアスに突き刺さろうとしたその瞬間、
「吹き荒べ瑞鳥の轟!!」
シーナの唱えた呪文でその場に猛烈な空気の渦が発生し、魔物を縛り上げた。
「うわッ」
煽りをくらってトリアスはバランスを崩す。
魔物を中心にした直径四メートルの空間のみに竜巻が起こり、魔物は身動きが取れないでいる。
これがシーナが類まれなる才能により、ほぼ生まれながらにして会得している大属性魔法、ウィンドだ。
シーナは帽子が飛ばぬように鍔を押さえ、風に負けぬよう大声でトリアスに呼びかける。
「ったく、ボーッとしないでよ!今のうちよトリアス!」
「へ!?あ、…え、どういうこと」
「だから!この魔法じゃ倒せないの!とどめをさしてよ!!」
「そうなの?」
「はやくしないと麻痺が解けるわ」
「わ、わかったよ」
やや戸惑った表情のまま、トリアスはとりあえず次の矢を放った。風に煽られて狙いが逸れ、これは右の翼を射た。
「難しいな」
すぐさま次の矢をつがえ、引き絞りながらトリアスは呟く。
竜巻が止めば魔物も動き出す。その瞬間を見誤ってはならない。
数秒経過すると魔法の効果が弱まった。残った風圧を振り払うように魔物がはばたく。
魔物と魔法の起こす風は互いに打ち消しあい、風の流れがゼロになる。その一瞬を狙ってトリアスは矢を放ち、今度は喉元を貫いた。
断末魔の叫びをあげて魔物は地に落ちた。
魔物は地面にたたきつけられると、その箇所から瞬時に塵になって空気中に溶けて行った。
が、同時にブシュウと音を立てて濁った黄色い煙が撒き散らされた。
「うぅぇっ、クサっ」
「テンマは空気中の汚れがラで固められてできてるから…死ぬと独特の臭気を放つの」
「サイアク」
トリアスは渾身の嫌な顔をした。
「それにしても、こんなところにまで魔物が出るなんて…こないだまでいなかったのに」
「ワイルも襲われてるかもしれない。はやく追いかけないと!パピ、走れる?」
「グリグリ…」
パピは無表情に道の先を指さした。二人がその先を見やると、
「あ…帰ってきた」
ワイルが、去ったときと同じ速度でこちらへ走ってくるのである。
「もーワイルったら、心細くなったのォ?それともボクらのこと心配して…」
トリアスが声をかけるが、ワイルは必死の形相で首を振る。その後ろには明らかにワイルが立てたのではない土煙がもうもうと上がっている。
「…なに連れてきたの」
地響きが大きくなる。
「なに連れてきたのよワイル!!」
「すまん!なんか追いかけられよる!助けてくれ!!」
「無理じゃン」
「グリグリ」
ワイルはこちらへ辿り着くまでに、仲間に説明する時間を設けるくらいには魔物を引き離すことに成功した。
仲間たちを置いて走り去ってからほどなく、ワイルはリリ村まで辿り着いた。
リリには魔物の気配が充満していて、ラの破壊による瘴気であふれていた。
村人達はほとんど家の中に逃げ込み戸を固く閉じていたが、露天商が一人逃げ遅れ、蟲の魔物に襲われかけていたのを見つけた。
咄嗟にワイルは飛び出して蟲に蹴りをくらわせた。
ところが、硬い甲殻にびっしりとその身を覆われた蟲はびくともしなかった。
ワイルは腰の短剣を抜き放つと蟲の口の中へ押し込もうとしたが、
ぐわりと開けられた口の中には茨のような牙がみっしりと生えていて、刀身にガチリと咬みついてきた。
露天商が腰を抜かしてその場から動けないでいたため、ワイルは自分に蟲の注意を惹きつけて後退することにした…
「もうぜんっぜん、なんっちゃきかへんのじゃわ」
ワイルは肩を上下させながら両手に握りしめた二刀剣を突き出して見せた。
美しく湾曲した刀身が刃こぼれしている。
「あんた力がないだけじゃないの?甲虫系のやつは確かに装甲が硬いのは知ってるけど」
「しゃあないでせんか。家の鍵は力でこじ開けるもんとちゃうんじょ」
「そんなこと言ってる場合じゃないグリ!」
パピが焦ったように地団太を踏む。土埃が目の前に迫っていた。
「よッ!」
トリアスが続けざまに矢を放つ。的が大きいため全て命中したものの、魔物はスピードを緩める気配はない。
「あー、やっぱだめだ」
「しょうがないわね」
シーナは腕まくりをして杖を握りしめる。
「吹き荒べ瑞鳥の轟、ウィンド!」
途端に風のラが集まり、魔物の足元から上へと激しい気流を作り上げる。
ところがパンと乾いた音を立てて、魔物は竜巻の渦を突破してしまった。
「シーナ!どうなってるのさ!」
「きかなかったわ」
「えぇ!?」
「そういうときもあるの」
シーナはあっけらかんとした表情である。
「あら、あららら、冷静なのねシーナ様」
「再挑戦して欲しいんやけど」
戦士たちが青ざめている間にも前進し続けている魔物は、距離を瞬く間に詰めてきた。
「トリアス!危ないッ!」
「え、ちょっ、待って、うわ!!」
弓を仕舞いかけていたトリアスは突進してきた魔物の腹節の一つにまともに肩をぶつけ、弾き飛ばされてしまった。
「玉乗りピエロのくせに、乗りこなさんかいほれぐらい!」
もんどりうって地面に転がったトリアスを庇うようにワイルは前へ押し進み、二刀剣を交差させて魔物を正面からガチンと受け止めた。
ところが勢いのついた魔物は止まるどころか、ワイルを押し返して轢き倒した。
このままでは押しつぶされる___
「危ない!!」
「ワイル!!」
シーナが叫んだ時、隣から発せられた甲高い声が重なった。
はっとシーナが自分の腰にしがみついているパピを見下ろした、その瞬間。
「んッ?」
発せられた奇妙な声にシーナがもう一度ワイルへ視線を向けると、ワイルは魔物の作った大きな影の中、尻餅をついていた。
短剣を握りしめたままの彼の腕は、左手は地面をつき、体を支えている。
そして右手は、魔物の腹節に触れていた。
魔物はギチギチと歩脚を鳴らしてなおも前進しようとしている。
押しとどめているのか、魔物を。ワイルが片手一本で?
まさか。ワイルは完全に力負けしていたはず。
一番驚いているのはワイル自身のようだった。
「…なんでや」
そのときパピが、今まで聞いたこともないような大声で叫んだ。
「ちから!!」
ワイルは呆然とした表情でパピを見る。
「ちからを、上げたグリ!ワイル!そいつを、たおすんだグリグリ!!」
必死に言うパピの声を聴き、ワイルは何か感じ取ったのか、ぎっと奥歯をかみしめると、
「うおおおおおおお!!!」
魔物を押し返しながら立ち上がった。
ゆっくりと魔物は、今度は逆方向に回転を始めた。
ワイルは二刀剣を交差させてじゃきりと構えると、目にも止まらぬ剣戟を魔物に浴びせ、そのまま街道の脇に追い詰めて、
「どっせい!」
気合とともに蹴り飛ばした。
魔物は為すすべなく地響きを立ててひっくり返った。白い腹があらわになり、環節の両側にびっしりと並んだ歩脚が無意味に蠢く。
そのままワイルは短剣を顎に深々と突き立てた。
魔物は悲鳴も上げず絶命し、塵と瘴気になった。ワイルは深く顎を下げ、息を止めて臭気に耐えた。
トリアスは呆然とへたりこんだままそれを見ており、
「…ありがと」
と無心の顔で呟いた。
「どちらえか」
ワイルは霧散した魔物を確認すると、振り向いてにかっと笑った。
同時にその右手が腰の煙草入れを探る。根っからのヘビースモーカーには長い禁煙期間であったろう。
「なんでそんな急に力が強くなったの?」
「わっからんけど…タヌキに呼ばれた時にどないかなった気がするなあ。な、タヌキ」
パピはビクッとし、ぷるぷる首を振った。
トリアスはワイルに助け起こされると、こめかみに手をやり、指についた血のりを見て顔をしかめる。
「ボクの顔に傷が…」
「何言うとんなお前。ほれでも戦士(いくさびと)か」
「ボクの得意なのは弓だもの。近接戦は嫌なの、こうやって汚れるし怪我もするから」
「はぁ?あかんたれ。しんだいこと言いまわんな」
ワイルは呆れた顔で罵った。トリアスはむすっとして横を向く。
シーナは後ろのパピを振り返り、彼が脅えないようその柔らかな顔をそっと撫でて言った。
「さっきのはパピがやったの?」
「…たぶん…グリ」
「いつからそんなことができるようになったの」
「…前から」
「前から!?」
パピは黙るとシーナの後ろからよちよちと出て来て、トリアスの腕をひっぱった。
「ん?なになに?」
かがんで顔を寄せたトリアスの頬に、パピは短い手をちょんと当てた。そこから光が溢れ出す。
眩しさに思わず目を閉じたトリアスに、パピは「グリグリ。治ったグリ」と言った。
「えっ?」
トリアスは驚いて自分の顔をペタペタと触り、
「痛くない…血も止まってる」
と呟いた。
「よかったァ〜、ボクの美しい顔が元に戻って」
自分の頬をさすりながら喜んでいるトリアスと「美しい顔て自分で言うなや」とドン引きしているワイルは無視し、シーナは尋ねた。
「これは魔法なの?」
パピはうなずく。
「そういえば、グリフはラを操る生物…生まれながらに魔法が使えても不思議じゃないわ。
あんたは傷を癒す魔法と、力を底上げする魔法の二種類を使えるってことなのね?」
「まあ…そんな感じグリ」
「ほお、たまには役に立つやないかタヌキ。さっきの力上げるやつ、あれむっちゃきしょこええなあ。どないでもいける気がするじょ」
ワイルは楽しそうに拳をパキパキ鳴らしている。
「え、ちょっと、ボクは?ボクにもやって欲しいんだけどあれ」
「どうやったらできるのかまだよくわかんないからムリグリ」
「そんなぁ〜」
トリアスがぶーたれる。
シーナは少し笑うと、パピの前にしゃがみ、顔を近づけた。
「すごいわ。パピ。お願い、今回だけあたし達と一緒に戦って。
あんたは何も悪くないから、巻き込むのはかわいそうだけど…あたし達を助けてほしいの」
「グリグリ…」
パピは不安そうに身をよじる。
「あんたの魔法があれば、あたし達四人だけでも戦える。
ワイルとトリアスは速さ自慢の軽戦士、力の弱さを補えればテンマとも十分渡り合えるわ。
こいつらの頼りない肉の壁も少しはマシになるから」
トリアスは「ひどくない?」とのけぞった。ワイルはしかめっつらで煙草をふかしている。
シーナは胸の鼓動が早まるのを感じていた。
”この出会いは必然なのです”
謎の女のか細い声が頭の中でこだまする。
「ね。お願いよ、パピ」
「……」
パピはうつむいた後、呟いた。
「輪っかに…火つけないって約束してくれるグリ?」
リリの砦跡に作られている建造物は、土と石と骨とよく分からないものでできた、通称「魔物の家」といわれる。
街を支配する隊長および魔物軍の住処である。
リリ駐屯魔物軍隊長、天魔のディノピタパットは壁を背にして立っていた。
魔物の家に玉座はない。もっともかれらは疲れなどしないので、座る必要ははじめからない。
「ギィ、ダジオンエルダー軍曹の配下ミノタウロス様カラ伝令デス。ディノピタパット様」
羽虫の姿をした下位種の天魔が天窓(実際ただの穴である)から舞い降りてきた。
「近々、コノ町ニ天魔ヲモウ一体派遣スルトノコト」
ディノピタパットは鞘翅(しょうし)をばたばたと動かして喜んだ。
「グハハ、グハハ。部下ガデキルトイウコトカ。イイゾ、コレデ吾輩ノ地位モ…」
「上がりますネー、隊長!よかったよかった!」
「ソウ、一時ハ変ナ旅芸人ノセイデ、吾輩ノ処分ガドウナルコトカト思ッタガ」
「そんなにプレッシャーかけちゃいましたか、隊長。すいませんでしたねえ〜」
「ウム、ヨカッタヨカッタ…ン?」
ディノピタパットが振り返ると、ちょうど部下の羽虫が吹き散らされたところであった。
かれの足元に、四つの影が伸びていた。
逆光を背に受けて立っていたのは、
咥え煙草で両手剣を構えた痩せぎすの男。
藍の長髪の美青年がにこにこと弓を降ろした。
後方でやや不安げに縮こまっている丸いピンクの動物。
金の髪に青い帽子の、凛とした表情の女。
「ナ、ナ、ナ…貴様ラハ!!」
「ごきげんよう、ディノピタパット様。あたし達の芸を、また見てもらえるかしら?」
シーナはニコリと笑った。
「行きなさい肉壁!」
「うっさいボケ!」
眼にもとまらぬ速さで駆け抜け、ディノピタパットの前に躍り出たワイルは、
「だぁらっしゃ!!」
そのままの勢いで両腕を相手の頭部めがけて振り下ろした。が、
ガチッ!!と音を立ててディノピタパットの頭部の発達した角がそれを受け止めた。
そのまま鍔迫り合いのように押し合い、ワイルの短剣は角の根元にひっかけられた。
次の瞬間、ディノピタパットが頭部を大きく振ると、ワイルの体は投げ飛ばされて宙を舞った。
「クソ!!」
なんとか空中でバランスを取って着地したワイルを、トリアスが慌てて引っ張り戻す。
「ヤバイ、さっきのやつが切れとる」
「えぇ!?ちょっと、力の魔法って持続時間いくらなの?」
「三分ぐらいグリ」
「みじかっ」
「それじゃ一回の戦闘が限界じゃないの」
「もう一回かけ直せ、タヌキ」
「グリィ〜、いきなりそんなことぉ」
予測しない事態に焦る四人に、背後からディノピタパットがカチリカチリと足音を鳴らして迫る。
「カカカカ。カ弱キ人間ゴトキガ、天魔様ニ逆ラオウト言ウノカ?」
「じゃかあし、取り込み中じょ」
「イヤ、ダッタラ何シニ来タノダ貴様ラ!吾輩直々ニ、血祭リニアゲテクレル!!」
「もお〜、ヤダこのオジサン」
「パピ、早く!!」
「ひェーン」
ディノピタパットが大きな角を水平に大きく振り切ると、風ともに激しい瘴気が起こった。
前衛の二人は思わず顔を覆ったが、瘴気に含まれる酸をまともに浴び、衣服や鎧のところどころが朽ち、肌が火傷のように傷ついた。
風圧でパピが転がり、助けにシーナが走るが、
「きゃ…ッ!!」
シーナのドレスが角にひっかかり、そのまま空中に掬い上げられた。
「シーナ!!」
魔物は獲物を地面に叩きつけようと、ぐるりと頭を振った。
「…ッ」
風圧と恐怖に息が詰まる。
「やめろ!!」
ワイルとトリアスが両側から切りかかり、武器を魔物の腕に叩きつける。
しかし堅牢な甲殻はびくともしない。
「う…っく!」
「やっぱり、パピの魔法がなきゃ…」
その時、
「ウィンド!!」
シーナが吊り上げられた姿勢のまま声を振り絞った。
瞬間、シーナとディノピタパットを中心に半径二メートルの円の中で超竜巻が発生した。
それは先ほどのように弾かれることはなく、ディノピタパットの体を毎秒百メートルの暴風で下から上へ垂直にねじり上げた。
「通った!」
「ギィア!?」
魔物は奇妙な痛みにうろたえて悲鳴を上げた。
麻痺の風はシーナだけ避けている。
「いまだ!シーナを助けないと!」
トリアスが弓をつがえて当て続けるも、装甲に阻まれ効果はない。その間にワイルはパピを揺さぶっていた。
「はよせえ、タヌキ!!」
「あ、あ、あ、アタック!!」
がくんがくん揺れながらパピが息も絶え絶えに叫ぶと、点滅する光がパピの指先からワイルの体へと伝うように広がった。
その瞬間にパピを放り出すと、ワイルは曲芸用の短剣を取り出し続けざまに放った。
ほとんど跳ね返されたが、二本がディノピタパットの上顎に突き刺さった。びき、と音がしてひびが入る。
「よし!!」
「パピ、ボクにも早く!!」
パピはもはや極度の緊張で逆に冷静になったらしく、差し出されたトリアスの手を握り、
「アタック!」
その言葉に載せて流れるように再び光がトリアスに辿り着いてきらめいた。
「いくぞ!」
ワイルが鳥のように空高く躍り上がると、上方から二刀剣を魔物に向かって叩きつけた。
魔物が前脚を上げてそれに応戦している間にトリアスがぴたりと体を寄せて相手の腹側に潜り込み、
弓から持ち替えた曲刀を真上へ突き上げて下顎を叩き割った。
ギャッと叫んでディノピタパットが身を縮める。その拍子に角を激しく振り、シーナは空中へ投げ出された。
まっさかさまに落ちるシーナを間一髪でトリアスが抱き止めて背後へ引きずり寄せると同時に、
ワイルが飛び蹴りを食らわせて敵を後退させる。
「シーナ、大丈夫か!?」
「はぁっ、はぁっ、さ、最低…スイカの匂いする」
「その様子だと大丈夫そうだね」
「シーナ!回復するグリ」
「ありがとう」
パピに治癒魔法を施されているシーナを再び後衛に戻すと、ワイルとトリアスは再び並んで敵に向き直った。
魔物は体液を滴らせ、どうにか体勢を立て直そうと呻いている。
「あのさあ、アイツを見てて思い出したんだけど」
ふとトリアスが呟いた。
「カブトムシって食べれるんだぜ。知ってた?ボク焼いて食ったことあるンだ」
ワイルがぎょっとする。
「何言うとんお前。コギレイな顔でほんなエグいことしとんのか」
「もう十五年ぐらい前だけどね」
「十五年…?ほんなら、お前」
ワイルが言いかけたとき、
「無駄口は叩かないで!」
シーナの怒声が飛んだ。魔物は既に体勢を整えて二人に襲いかかろうとしていたが、
「逃がさない。ウィンド!!」
「ギャッ!?」
たちまち麻痺効果の竜巻に全身を縛り付けられた。
「ばかナ!風ダト!?同属性デハナイカ!」
「関係ないわ。さっきだって効いたでしょ。当たるときは、当たるものよ」
「オラァッ!!」
そこへ走ってきたワイルが、そのままの勢いで力任せに左上肢、右上肢に短剣をぶつける。
硬いクチクラが弾け飛び、赤黒い繊維のようなものが節から覗いた。
魔物はこの力に愕然としたようだった。
自慢の装甲を叩き割られたことに恐怖し、体勢を立て直そうと羽を広げて空へ舞いあがろうとしたが、
「おっとぉ、逃げちゃダメだよ」
後ろに回り込んだトリアスが曲刀を大きくなぎ払う。
薄羽が根元を残して切り取られ、風に吹き散らされた。
たちまち魔物の体はバランスを崩して地に叩きつけられる。
トリアスは武器を弓に持ち替え、もがく脚をブーツで踏みつけると、節と節の間の細い外骨格を狙って、真上から弓を討っていった。
「夏休みの宿題みたいだ」
「あほか」
押しピンで止められた標本のように完全に身動きが取れなくなった魔物に飛び乗り、
ワイルは前胸背板と上翅の間の関節に短剣を突き立てると、バールのように手前に引き倒した。
甲殻がベリリと嫌な音を立てて剥がれる。
「ギィイイイアアアァァア!!!」
捩じ切れるような悲鳴が上がる。
ワイルは真剣な表情をして、ぼそりと語りかけた。
「お前、わしらのこと怨んだらおかしいん分かっとんか。こすいことばっかり考えよったその体を捨てて、ラに還れるんやぞ」
トリアスとワイルは各々の武器を高く掲げ、息を合わせて振り下ろした。
一瞬の沈黙ののち、巨大な魔物は大きな爆発音を立てて霧散していった。
「…ヤッダー!!やっぱり臭い!!」
隊長ディノピタパットが倒されたことにより、一時的に魔物はリリから撤退した。
リリの村は喜びにあふれた。
しかし、数日もしないうちに新たな魔物の隊長がリリにはすえられた。
隊長の名はなんと、ディノピタパットであった。
正確には“ディノピタパット”という種類のテンマ。
前のディノピタパットがなぜ死んだのか、この周辺の地域を統括しているムーラニア軍軍曹・ダジオンエルダーは把握する気もなかった。
なんともとより、前任はお払い箱になるものと決まっていたのだ。
勝手なことをしたため、隊長として不適とみなされたのだろう。
「なんてこと…」
「マジ、予定調和ってヤツ」
配下の一匹や二匹が死んだところで、何も困りはしない。
魔物はムーラインで生産しているといわれている。ラを燃料に。
まったく同じ“製品”が大量に作れるらしい。
「いくらでも補充がきくんだろう。あいつらも、かわいそうだ」
トリアスが呟いた。
「前より悪くなりはしなかったケド、振り出しに戻っちゃったね」
「タダ働きかいな。しょーもな」
苛立ったように煙草をふかすワイルの横で、シーナはうつむいた。
「結局、リリの人に迷惑をかけただけだったわ…」
「そうでもないですよ」
声のした方へ注意を向けると、一人の壮年の男が立っていた。やや疲労した顔だが、その目は強い意志に満ちていた。
「あなたは…?」
「ゴルバといいます。リリの村長代理です。今は実質…新村長ですけど」
壮年の男は握手を求めてきた。シーナは戸惑いながらそれに応じる。
「レジスタンスの方々だったのですね。どうもありがとうございました」
「いえ…あの、すみません…こないだの村祭りのときの旅芸人、あたし達なんです。
事のそもそもの発端は、あたし達で…申し訳ありませんでした」
ゴルバは首を振った。
「前村長が死ぬ前日、彼から教えていただきました。シーナさん、あなたはリリの出身だそうですね」
「そうだったの?」
トリアスが驚いた顔をする。シーナはうつむいた。
「五歳までしか、いなかったけど」
ゴルバは満足そうにうなずいた。
「前村長はあなたのことを覚えていました。そしてあなたが今は帝国に対するレジスタンス活動を行っていることも、彼は密かに知っていました。
これほどの強い力を持ち、祖国を愛して戦う勇敢な方がこの村から出たということ、私たちは誇らしい気持ちです。
村はまた魔物に支配されましたが、もう私たちの心はやつらには屈しません。
エルファリアが本来の姿を取り戻すことを信じて、希望を持って生きていくと誓います。
あなたがたのおかげです。ありがとう」
シーナはどうこたえていいのか分からず、仲間たちに視線を送った。
トリアスはにこにこしてシーナを見ている。
ワイルはすました顔だが、煙草を咥えた口元が心なしか上がっている。
パピがシーナの足元に身をすりよせた。あたたかい。
「あなた方はなんという名の一座なのですか?」
「えっ?」
ゴルバに聞かれて、シーナは動揺した。考えたこともなかったのだ。
「名がないのですか?旅芸人という肩書だとお聞きしてますが」
ゴルバはきょとんとした顔だ。
「あ…その、まだ決めてなくて」
「シーナ。お前が決めえ。今」
ワイルが呟くように言った。トリアスもうなずいて、パピの頭をなでる。
「えっと…」
言いよどんだシーナの脳裏に、あの声が響き渡った。
思い出す。聖地の森に出会ったエルフの娘。祝詞のような言の葉を。
“シーナ…ワイル、トリアス。どうか…お願いします。パピ、いい子でね。
美しく気高い風の謡(うた)。其に守られし者たちよ。
ラの祝福がありますように”
シーナは顔をあげ、言った。
「“風の謡(うた)”。
あたし達四人の名は、風の謡です」
ゴルバはにこりと笑い、四人に深く頭を下げた。
「また来てください、風の謡さん。あなた方にラの祝福がありますように」
村長ゴルバに見送られ、四人はリリを後にした。
瘴気は晴れたが、だだっ広い街道には相変わらず人気はない。
あたりは枯れ木ばかりで遮るものもない。
四人は北から時折吹く風にあたりながらゆるゆると、来た道を戻った。
「風の謡か…いい名前だネ」
トリアスが呟いた。
嬉しげにパピの頭をくりくり撫でて、
「ねーパピ、ボクたち風の謡だって!カッコイーねぇ〜」
「グリは仲間じゃないグリ」
パピは強情にそっぽを向いたが、
「タヌキ、ええかげんにせえ。これ以上ごじゃ言うたらこらえへんのぞ」
ワイルにげんこつをくらわされて涙目になってしまった。
「でも、これでボクたち、まっとうな名前名乗れるよ。ただの旅芸人デスって言うよりよっぽどインパクトあるし。
ファンとかも増えて、おひねりももらえちゃったりするんだよォ〜」
「ほお〜、なんやほない言われたら、やる気出てくるなぁ」
そこにシーナが冷たい声で家計簿を見つめながら、
「ところで今月の興行収入だけど、全然目標に足りてないわよ。ていうか赤字」
「はぁ!?うそやん、こないに気張っとんのに」
「ま〜たチントさんに怒られるぅ〜」
「グリのせいじゃないグリ」
「ワイルが愛想ないせいだよねー」
「ちゃうわ!ひとのせいにばっかしいまわるな!!」
「キャーコワーイ!」
「コワイグリ〜」
「ちょ、ええかげんにせえよお前ら」
「うるっさいのよあんたたち男のくせに!!黙ってあたしについてきてればいいの!!」
「みんなコワイグリ〜」
「アハハハハ」
「笑っとる場合か」
日の陰り始めた街道の土に、四人の影が重なり合いながら伸びる。
エルファリアに風が吹く。
新たな始まりを予感させる、奇妙な旅人達を眺めながら。
<了>
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