ナースステーション以外は明かりの落とされた、深夜の整形外科 入院病棟。 丹念に撫で付けられたオールバックが長身をかがめるようにこそこそと入ってきた。 濃紺のスーツに身を包んだ青年はナースステーションを覗き込み、当直の看護師と目が合うと律儀に辞儀をして、 有限会社フォーレス 営業部販売課課長 有出イズル(ありで いずる) と書かれた名刺を差し出した。 もう5枚目ぐらいになるな…と思いながらそれを受け取り、 看護師 不破美也(ふわ みや)は上目遣いに相手を見上げる。 「有出さん、あのぅ、何度も申し上げましたけど…時間外の面会は受け付けていないんですぅ」 有出は疲れきった瞳で物憂げに不破を見下ろした。 「分かっています…でも、連日残業続きで面会時間内に来ることができないんです。 いつもお世話になっておりますよしみで、どうかお願いします」 「いや、お忙しいのは まあ…ですけどねぇ」 「鳥谷には伝えなければならないことが…まだ知らないだろうから…俺が…せめて、今…」 彼は前日までの様子とは違っていた。 目は焦点も合わず、ぶつぶつと呟く様がなんとなく鬼気迫っていたので、 「そりゃ、フォーレスさんのお薬はよく使わせていただいてますけどぉ…」 不破がこのまま彼を追い返すのもなんとなくそら恐ろしくなってきたところへ、 「どうした?」 「あ、先生」 折しも本日当直の整形外科医、阿比留俊夫(あびる としお)が萎びた白衣をしょって現れた。 不破がすがる目で見ると、事情を察した阿比留はやれやれと肩をすくめて、俯いた有出の顔を親しげに覗き込み、 「有出さんか。踵骨骨折で入院中の5号室、鳥谷直(とりや すなお)さんのお友達だね。 すまんね、何度も足を運んでいただいて。鳥谷さんも仕事のことが気になっている様子だった。 でもさすがに今はね、彼も眠っているし、他の患者さんもいますから。休みの日にでも来てくださいよ」 言い終わるか終わらないかの時、 「有出くうううううううん!!!」 叫びながら薄暗い廊下をこちらに向かって猛ダッシュしてきた人影があった。 「おいおい、賑やかだなこんな時間なのに」 「まあ、製薬会社の方なら時間外入り口もご存知ですから…」 呆然と見ているうちに人影は三人のもとに辿り着き、 「大変なの!!遅かったの!!倒産して!!社長が!!」 有出に向かって意味不明な言葉の羅列を喚きたてた。 「え…恵美子、落ち着いて。どうしたんだ」 それは有出の同僚の字井恵美子(じい えみこ)だった。 なおも興奮冷めやらぬ恵美子に有出が肩を掴んで息を整えさせると、 ようやく落ち着いてきた彼女は目に涙を浮かべ、 「社長がお亡くなりになったの!自殺だって…でもきっと違うわ、殺されたのよ!!」 「なんだって!?」 これには阿比留と不破も仰天した。 この後彼らは、思いもよらぬ大きな事件に巻き込まれることになっていくのである。